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連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<1>【新連載 エッセイ】

 どこか遠くへ行ってみたい。知らないところへ、思い出の場所へ、憧れの地へ…。

 人は誰しも、心に思い描く『旅』のイメージがあるはず。長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さんは、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへ、ついに旅立つ時を迎えます。

 旅行会社のツアーなどない『旅』。桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴る、新しいカタチの”歴史エッセイ”を連載で掲載します。

 若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる愉しみと教養を、一緒に体験しましょう。

 さあ、『シニア特急』出発です!

(毎週、火・木・土に掲載予定です)

Ⅰ:運命の、カミさんの一押し

●三度目の正直

<2017/3月 千葉県市川市>

 それはカミさんの一言からだった。

「ウェールズ、行ってらっしゃい。これが最後のチャンスになるかもしれないわよ」

 ずっと行きたかった。ウェールズに。これまでチャンスは2回あった。しかし、20年前の最初のチャンスは直前にとんでもない大風邪をひいてつぶれた。

   その数年後に巡ってきた二度目のチャンスはウェールズが洪水で、ロンドンに着いたものの電車が動かず結局諦めざるを得なかった。

 それからずいぶん時間がたち、何だかんだでウェールズに行けないまま、私は60代半ばのシニアになった。

 しかし、と考える。もしもこの世界に人智では計り知れない「意思」というものがあるなら、私のウェールズ行きはその「意思」によってこの時まで待たされていたのではないかと。

   なぜならいまの私には、単純な旅行的動機だけではなく、どうしても行かなければならない「使命」のようなものがあるからだ。

 私には、ウェールズのある「聖なる場所」を訪れて、そこに奉納しなければならないものがある。

 また、物書きであり歴史家である私は、ウェールズ史関係の新作の出版も決まり、そのテーマに所縁のある場所を巡ってくる必要もある。

   もしも20年前に大風邪をひかなかったら、私は40代の半ばでウェールズに行っていたわけで、その時は持っていかなければならない特別なものもなく、問題意識を抱いて巡る場所も大してなく、その旅は別段使命もないただの物見遊山に終わっていただろう。

 私は、この20年間でイギリス中世文学や歴史に関するいろいろな本を書いた。ウェールズを見る感性も知識も、歳はとったが前より膨らませることができたと確信している。

 いまが絶好の機会だと思っていたところ、カミさんが「行ってらっしゃい」と全てを察知していたように、いや、とっくに察知していてポンと背中を押してくれた。

 一週間仕事の休みをとってくれるという。ミニチュアダックスフントのナナの世話もしてくれる。これは、行くしかない。ありがとう、わが連れ合い!

●いざ行け、シニア!

 大慌てで旅の準備が始まった。一週間といっても飛行機で2日つぶれるからウェールズ滞在は実質5日だ。

 ウェールズはブリテン島の西部地域で、人口約311万人、広さは四国と東京都を合わせたぐらいだが、むろん5日で全ウェールズを回れるわけはない。私が行くのは南ウェールズである。

 ウェールズの首都カーディフから電車とバスと、場合によってはタクシーを使って、カーディフ→セント・デイヴィッズ→ペンブローク→カーディフと移動する。

 当然、日本の旅行代理店はどこも私が行くようなルートのツァーは組んでいない。そもそもウェールズへのツァー自体を殆ど見かけない。それはウェールズへ入るアクセスの悪さも一因だろう。

 日本からウェールズへの行き方は大きく分けて二つある。

 一つはロンドンのパディントン駅から鉄道でカーディフに向かう方法だ。ロンドン―カーディフ間は鉄道で2時間ちょっとだが、日本から飛行機で来るとロンドン着は夕方なので、まあ頑張ればカーディフまでその日のうちに鉄道でいけないこともない。

   が、大抵は疲れてロンドンで一泊し、翌朝カーディフに向かうことになる。つまり、ロンドンでよけいに泊まらなくてはいけない。スケジュールに余裕があればいいが私のように5日しかない場合、このよけいな一泊はきつい。

 ゆえに私が決めたのはもう一つの、KLMの飛行機を乗り継いで、成田空港→スキポール空港→カーディフ空港着の、一番手っ取り早いルートである。これなら夕方にはカーディフ市内のホテルに着くことができる。

   さっきも言ったようにウェールズへのツアーがまずないから、私は直接KLMのウェブサイトで航空券を買い、ホテル予約のサイトで5日間全ての宿泊予約をとった。もちろん、鉄道も専用のサイトで切符の予約をとる。

 べつに仕事で行くわけではないので、スーツとか、かさばるものは持っていく必要はなく、一番小さいサイズのスーツケースとショルダーバッグで全部収まる。準備は終わった。

  いよいよ私は、ウェールズに旅立つ。頑張れ、高血圧気味のシニア!

→第2回を読む

桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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