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連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<4>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さん。60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」を連載が始まりました。

 若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂『セント・デイヴィッズ』にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、セント・デイヴィッズに訪れ、その著作を寄贈することを長年夢見ていた。

 ついに、念願だったウェールズへの旅に出発。飛行機を乗り継ぎ、無事にウェールズの首都、カーディフ市内に到着した頃には夕方19時を過ぎていた。カーディフ中央駅近くのホテルに宿をとる。空腹を満たすため、ホテル近くのハンバーガー店でチキンハンバーガーとポテトチップスをテイクアウト、ものすごい量に驚く。夕食後、早々に就寝したものの、時差で夜中に目が覚め眠れない。体調を気にしつつも、セント・デイヴィッズで息絶えるなら本望と思うのだった。

→第1回を読む
→第2回を読む
→第3回を読む

Ⅲ さあ、西へ。古(いにしえ)の大聖堂へ<1>

(2017/4/10 カーディフ→ハーバーフォードウェスト)

●再びカーディフ中央駅に向かう

 マリオットホテルにて朝食バイキングをとる。

 ポークビーンズ、ソーセージ、ハム、ベーコン、ポテト、サラダ、クロワッサン、コーヒーなど、しっかり食べる。

 レストランの入り口に置いてあったザ・タイムズもテーブルに持ってきて目を通す。ロンドンでよく読んでいた好きな新聞である。インデペンデントより安かったし、大衆的だったし。だいぶ前にタブロイド版になったことは知っていた。

 私は日本ではすっかり見なくなった青りんごと、小さなフランスパンを紙ナプキンに包んで持っていくことにした。今日は移動する日。昼を食いっぱぐれる公算大である。たぶんこれが昼飯になるだろう。

 10時04分発のハーバーフォードウェスト行きに乗るため、8時にマリオットホテルをチェックアウト。少し早いが初めてのウェールズの列車に乗るのだ。何があるかわからない。早く行くに越したことはない。時間をつぶせばいいだけのことだ。

 駅まで10分未満、近い距離を、こちらの人間よろしく信号を無視しながらスーツケースを引いて駅まで行く。

 思い出せばロンドンでは信号無視ばかりしていた。地元の人に倣って。こちらの人間は何事も自己責任と、平気で赤信号を渡っていく。”Do in Rome as Romans do.” 郷に入らば郷に従え、である。

 またまた朝から駅周辺にホームレスの若いもんのいること。夜はけっこう寒いのに。シュラフにくるまっているやつもいる。

 後で、カーディフに再び戻ってきてから気が付いたことだが、ホームレスが多いのは中央駅周辺で、町の中心にはほとんどいないのがわかった。中央駅は玄関口だから田舎からのおのぼりなど、事情をよく知らない連中の同情を買いやすいのだろう。ホームレスの連中もしっかりと考えて場所を選んでいるということだ。

 ちなみにこのカーディフ中央駅はNHK-BSの旅番組で関口知宏が訪れていたのを、つい最近見た。ただテレビでは、駅舎は実際より大きく見えた。ほんとうはこぢんまりしていてかわいらしい駅。駅舎正面に”Great Western Railway”とある。

●駅のカフェで時間つぶし

 構内のデジタルのDeparture(発車)とArrival(到着)の掲示板を見るが、さすがについたのが早く、まだ9時代前半の電車の到発着しか表示されていない。

 1時間半以上空き時間があるので駅舎のカフェで時間をつぶすことにした。カプチーノをたのみ、テーブル席に座る。憩いのひと時。いいねえ。中央駅はもちろんWi-Fiが使い放題。こういうところは日本は学ばないと。このままだと東京オリンピックは外国人観光客からなんでフリーWi-Fiがないのかと大ブーイングを浴びるのは必至だ。

 日本のカミさんにいまカーディフ中央駅で時間をつぶしているとメッセンジャー(Facebookのサービスツール)でメッセージを送る。すごいねえ、IT技術の進歩は。ただですよ。タダ! 日本にテキストを送るのも通話するのも。

 ほんの昨日だったな、おっかなびっくりで日本へKDDのコレクトコールをかけていたのは。あのころがバカみたいである。騙されていたみたいである。高いお金をとられていたのだから。

 1時間ほど時間をつぶし、発車の30分前になったのでカフェを出てデジタルの掲示板の前に立つ。10時04分発ミルフォードヘブン行きとあった。ハーバーフォードウェスト行きというのは掲示されていない。

 事前にどこが終着の電車に乗ればいいのかを確かめていなかった。しかし、10時04分発の電車はこれしかないし、ミルフォードヘブンはハーバーフォードウェストの先だと知っていたのでこの電車に間違いないと、掲示板に示された3番のプラットホームに改札口を通って向かう。

●いざ、車内へ

 ホームの椅子に座って待っていると、二両連結の電車が入ってきた。これだな、とは思ったが、確信が持てない。

 車掌が電車から降りてきたのでさっそく聞く。「ハーバーフォードウェストに行くか」と。「もちろん」の返事。で、乗り込む。

 ただ、この電車はここカーディフが始発だと勝手に思っていたのが間違いで、中はけっこう人がいっぱいだ。出入り口近くの荷物置き場も空きがない。

 仕方なくスーツケースを座席に引っ張っていく。私の指定席を見つけ、スーツケースを網棚に上げようとするがスペースが狭く入れられない。困っていたら、向かいの席の男性乗客が背中合わせになった座席の下にできている空間にスーツケースを入ればいいといってくれた。ありがたい。親切に大感謝。で、スーツケースをそこに入れて一件落着。

 私の指定席はコーチ(Coach)Aの18F。イギリスでは鉄道の車両のことをコーチという。この列車は二両なのでコーチAとBがある。席は飛行機(Airplane)スタイルとテーブルスタイルがある。

 前者は飛行機の座席と同じ、全て進行方向に列をつくって並んでいる席で、前列の座席の背もたれ背面に引いて倒すテーブルがついている。

 後者は二席と二席が向かいあうタイプで間にテーブルがあり、ここに小さな荷物を載せたり食事したりできる。飛行機スタイルの席は没交渉で人を気にせずできるのがいいが、テーブルスタイルはいかにもイギリスらしく雰囲気満点。しかもテーブルに手もちぶさたの手を載せてくつろげる快適さもある。でも、この席は数が少なく飛行機スタイルの座席が全体的には主流ということである。

 指定席には細長い短冊状の予約タグが貼ってあるので一目でそれとわかる。他の乗客は指定席の乗客が来るまでその席に座っていていい。もちろん来たらすぐに席を離れなければならないが。全体的に見れば指定席は半数にも満たず、自由席のほうが多い。

●切符とWi-Fiの話

 私が持っている切符は二種類ある。一つはいわゆる乗車券で、私の場合はカーディフ中央駅 からハーバーフォードウェストまでの運賃25ポンド80ペンスを記した一日券(Anytime Day single)の切符。

 これはその日のこの区間の電車ならどの時間の電車にも乗れるというもの。対して10時04分だけの電車にしか乗れないという切符なら、もっと安く買える。

 イギリスの列車の切符にはいろいろな種類がある。通勤時など混む時間帯、空いている時間帯などによっても料金が違う。この場合、後者のほうが安いが、こういったイギリスの鉄道料金体系は当のイギリス人にもわかりにくい、不公平と評判が極めて悪い。鉄道民営化の弊害という意見も多い。

 さて、もう一枚は、座席指定券。私の場合、コーチAの18Fと書いてある。この席は、2-2と席が通路の左右に並んだ車両の、進行方に面した右側の通路側の席である。

 ちょっと話は切符のことで先走るが、カーディフ中央駅からハーバーフォードウェストまでの間に二回、車掌が切符を確認しに来た。最初は出発してほどなく、二回目は確かスウォンジーを出てからすぐだったと思う。いずれも座席指定券のほうにチェックを入れていった。

 しかし、車掌たち、しっかり仕事をしているなあという印象だった。みんなにこにこしていて愛想がとてもよかった。このあたりは鉄道先進国英国のなせるわざか。面白かったのは車掌たちがみな、長髪だったことだ。だいぶ前のロックシンガーみたいで。そういう鉄道組合の雰囲気なのかなあ、とふと思った。

●スウォンジーへ

 電車がカーディフ中央駅を出発した。あれっ、私の席が進行方向と反対向きだ。日本でちゃんと進行方向の席をネットで予約したのに。まあ、予約なんてこんなもんさ。仕方ない。

 ところで、このハーバーフォードウェスト行きの列車では当然フリーWi-Fiが使える。

 日本の新幹線やJR在来線、大手私鉄特急でフリーWi-Fiがどこまで使えるのか。堂々たるIT発展途上国日本。大手通信キャリアが通信回線を独占しているからこういうことになる。

 カーディフ中央駅から1時間ほどでスウォンジーにつく。

 ここはカーディフに次いでウェールズ第二の大きさの都市だ。人口は26万人ほど。ちなみにカーディフは約36万人。四国の高知市が約33万人だから、カーディフは人口では高知市とほぼ同じ規模ということになる。ただ、スウォンジーの駅はこのウェールズ第2位の町の外れにあるのか、駅からはここがそんなに大きい都市だとは思えない。

 列車がスウォンジーを出発してまた驚いた。ここから私の座席が進行向きになったのだ。つまり列車がいままで走ってきたのと逆方向で走り出したのだ。そう、スイッチバックだ。してみると私の日本からの予約は正しく守られていたことになる。

 後でグーグルアースを見たら、スウォンジーはここが終着のような駅の形になっていて、ここから先に進むにはいったんバックして、それから線路は西へ切り替わり列車が進行する形になる。スウォンジーはどんづまり形の駅なのだ。

 面白いな。というか、こうなると進行方向側の席がいいか反対側かという予約時の選択はあんまり意味をなさないと思える。イギリスの鉄道は奥深い。日本とはやはり違う。これも鉄道先進国のなせる業か。

●スウォンジーからカーマゼンへの風景

 スウォンジー駅を出発してすぐ、右側に日立の列車が見えてきた。列車の車庫もある。HITACHIと大きく建物に書かれている。ここには日立の列車工場があるのだ。カッコいい高速列車の車両。日立がイギリスで列車の製造を含む鉄道システムをあちこちの路線で受注しているのは知っている。いまそれを目の当たりに見た。すごいねえ。

 しかし、イギリスはEUを脱退する。この後の日立の英国における鉄道ビジネスはどうなるのか。まあ、それを私が心配しても始まらない。とにかく日立の列車はカッコいい。

 このあたりで車内販売のカートがやってきた。日本と同じ。おねえさんが飲み物やスナックを売っている。ウェールズのビールはあるかと聞いたら、ダブル・ドラゴンズ(Double Dragons)というカッコいい名のビールがあった。もちろんそれを買う。ついでにナッツも。

 ビールはラガーでとてもおいしい。時差であんまり寝てないこの身に元気が注入されてくる。ここで昼食と決める。ホテルから持ってきた青りんごとフランスパンを出し、ビールとナッツを合わせて気持ち良くやる。

 進行方向左側に海が見えてきた。正しくは湾、入江。すごい浅瀬だ。干潟だ。ずっと続いている。ウェールズの海岸は干満の差が激しく、潮が引くと大規模な干潟や浅瀬が出現するという。いまそれを見ている。日本とはかなり風景の異なった海岸だ。やはり異国、ウェールズ。神秘的にすら映る。

 列車はカーマゼンからまたスイッチバックして発進。再び進行方向と逆の席になった。この駅もスウォンジーと同じどんづまり駅だから一度バックして西へ向かう形となる。面白い。カーディフ中央駅からハーバーフォードウェストまでの距離の、3分の2来た感じである。

 電車は時間通り順調に進んでいる。車窓から放牧されている羊、牛が見える。だらだら続く牧草地、でも土地は広くないのがよくわかる。土地を開いて牧草地に広げているだけでもともとは広くない。丘陵地、低い山々、丘、そういったものを切り開いている。人々の知恵。ゆえに地平線は見えない。

→第5回を読む

【このシリーズのバックナンバー】

→第1回
→第2回
→第3回

桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

 

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