連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<3>【新連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さんは、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへ、ついに旅立つ時を迎えます。

 旅行会社のツアーなどない『旅』。桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」を連載が始まりました。

 若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 成田空港からアムステルダム・スキポール空港を経由して、ウェールズ・カーディフ空港へ向かう旅程で、旅は始まった。スキポール空港からカーディフ空港までの飛行機で隣の席に座った老婦人や、ウェールズの入国審査官に、旅の目的地は「セント・デイヴィッズ」と話し関心を持たれる。ウェールズのラグビ・ナショナルチーム『レッド・ドラゴンズ』が来日した際、歓迎パーティ―の出席したこと、セント・デイヴィッズゆかりの『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を出版したことなど、楽しい会話も弾む。そして、いよいよカーディフ市内へ・・・

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(毎週、火・木・土に掲載予定です)

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  * * *

Ⅱ:それは、最高の入国審査から始まった<2>

●すごいスピード、がたがた揺れるフリーWi-Fi装備のT9バス

<2017年4月9日 カーディフ>

 もうほとんど誰もいなくなった空港のビル内を、係員に出口を聞きながら外に出る。出たところで改めて空港ビルを見る。小さな空港だ。空港の建物に関しては私が好きな伊丹空港の半分の大きさもない。松山空港くらいといったらいいのか。

 少し寒いが、でも心地よい。カーディフ市内行きT9の空港バス停はすぐに見つかった。バスを待つ間、一緒にバスを待つ他の乗客に頼まれて写真を撮ってあげたり、また自分も撮ってもらったり。旅の楽しいひとときだ。もう5時をとうに回った夕刻でもあり、カーディフ空港及び周辺はとても寂しい感じである。いつもこの時刻はこんな具合なのかな。こんなに寂しいのかな。ウェールズの玄関口としては、ちょっとシャビ―(編集部註:shaby=粗末な)だな、とその時は思った。

 バスがなかなか来ないので、12人ほどバスを待っている乗客の一人の女性がスマホでバス会社に電話を入れ、いつ来るのか聞いている。彼女によると、あと10分ほどで来るとのこと。で、だいたいそんな感じでほぼ10分後、バスはやってきた。並び始めからすると30分程度でT9バスはやってきたことになる。

  バスはすごかった。どうすごかったというと、まずフリーWi-Fiが使える。日本の成田へ行く高速バスではどうなのだろう。このWi-Fiがどこでも使えるというウェールズの事情には、この後も驚かされることになる。

 バスがすごかったもう一つのことは、驚くほど飛ばすことだ。乗り心地なんぞ二の次に作られたとしか思えない、頑丈さが売りであろうと思われるこのT9バスのスピードを出すこと、出すこと。車内の手すりやら椅子やら、とにかく備品、装備をがたがた震わせ、鳴らし、走る走る。

  こんなバスが走っていたら日本ならとうに苦情ものだ。窓の外に流れる牧草地の羊の群れ。カーディフは田舎なんだなあと実感する。ウェールズにとうとうやってきた実感が高まってくる。来たぞ、ウェールズ!

●切符をもらいにカーディフ中央駅に

 カーディフ市内到着。カスタムハウス通りというバス停で降りる。ここはカーディフ中央駅のすぐそばで、今日泊まるマリオットホテルも目の前だ。ここまで空港から40分ほどである。空港を出て、交通渋滞に巻き込まれたけれど、それもすぐに抜けて高速に出てからは極めてスムースだった。

 もう7時をとうに過ぎていて、さすがに疲れていたのでこのままホテルへ、と思ったが、いやいかん、予定通りに行こうと、カーディフ中央駅へ向かう。日本でネット予約したハーバーフォードウェストまでの正式な電車切符を手に入れるためだ。私が持っているのは、メールで届いた予約確認票をプリントアウトしたもので、これは切符ではない。この予約確認票にある予約番号を駅の機械に打ち込んで正式な切符を手に入れるのである。

 しかし、カーディフ中央駅の周りにホームレスの多いこと。しかも彼らは一様に若い。なんで働かないのかしらんと思った。ロンドンにいた時、ホームレスになる人間は怠け者よ、といっていた地元の人たちが結構いたことを思い出した。それも一理ある。イギリスは社会福祉が発達していて、収入がなくともそれなりに手当てを受け、次の職を探せていける最低限の保障はある。

 こういう環境で敢えてホームレスになる、しかも若者が、ということはどういうことなのか。日本人みたいに働くことは美徳という意識がどのあたりまで徹底しているのだろうか。ホームレスは怠け者という、かつてロンドンで聞いた住民たちの言葉はイギリスでは存外当たっているのかもしれない。

 ともかくすぐに中央駅で切符を手に入れようと思ったが、駅にあったマシーンは二種類で、たぶんこのいずれかを使えば間違いなく切符がプリントアウトされるのだろうが、ひどく説明文が細かくわかりづらく、おまけに疲れていてじっくり英文や機械と格闘する気力ももはやないので、駅員のいる切符売場へ入る。

  いわく、「日本でハーバーフォードウェストへの往復切符を予約した者だが、あの自動券売機の使い方がよくわからんので、ここで切符をお願いしたい」と、私は日本から持ってきた予約票を出したら、あっという間に切符をくれた。やっぱり、人間ほどありがたいものはない。

●ものすごい量のチキンハンバーガーとチップス

 カーディフ中央駅からマリオットホテルへ。小さなスーツケースを引きずって10分程度。無事チェックインする。フロントの女性スタッフの応対は実に丁寧かつ親切、そして部屋はトリプルのルーム。ダブルベッド一つに、シングル一つ。広くきれいでこれ以上ない。こういう部屋に入れたのは、いまは客が少ない時期だからだろう。

  大きなテレビのスイッチを入れ、BBC放送(BBC)でウェールズの天気をチェックする。こののちしばらく、天気は安定の様子。いいぞ、温度も朝夕6度から7度、日中は15~16度。おお、最高!

 私にはこれ以上ない快適さだ。BBCはローカル放送も流していて、少し待てばBBCウェールズというローカル局に移る。当然だろう、ここはウェールズ。

 それにしてもお腹が少々すいた。飛行機では成田からアムステルダムまで夕食と朝食が出た。カーディフ空港までの飛行機では軽食が出た。このまま寝てもいいが、しかし空腹が気になる。それで外に出て何か買ってホテルで食べることにした。少し歩いたところにハンバーガー店があったのでチキンハンバーガーとポテトのチップス、それとコーラを持ち帰りで注文する。

  改めてみると中東風のハンバーガーの店。店員も中東風。できあがるのを待っている間、調理しているその店員が「おまえは中国人か」とたずねてきたので、「俺は日本人だ」と答える。

 で、こっちが「ここには中国人は多いのか」と逆に聞くと「うん」という。で、「俺は日本人に見えないのか」というと、「だから中国人かと聞いた」と。ああ、ウェールズでもか。私は外国で実によく中国人と間違えられる。昔、帰国した成田空港でさえタクシー運転手に中国人と間違えられたことがある。たまらない。

 チキンのハンバーガーにチップス、コーラのパック入りセットを持ってホテルに戻る。それにしても量の多いこと。これを見て、ロンドン時代にも散々体験したこちらの一人前の量を久しぶりに思い出した。それは、私とカミさんが分け合っても十分な一人前だ。もちろん食べきれるはずはなく、3分の1も食べられないまま残す。でも味は良かった。

 夜。9時30分頃に眠りについたが2時30分に目が覚めてしまい眠れない。時差である。そのまま4時まで、寝られたかどうか確証がないままぼうっとしていた。少し心臓の鼓動が大きい気がする。疲れてるな。私は血圧が少し高いから、これはやばいかも。この旅行で心臓発作起こして死ぬ? まさか。

 でも、まあ、セント・デイヴィッズで死ぬなら、それも本望だな。大聖堂の床か壁に、”Here lies the body of Toshiaki Sakurai who…”などと書かれた石板が置かれて、永遠の眠りにつければ最高ではないか。一人ベッドの中で納得し、かつ勝手に悦に入っていたところで7時半まで眠れた。やれやれ。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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