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連載

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<7>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」の連載が始まりました。

 若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、セント・デイヴィッズに訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていたが、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地であるセント・デイヴィッズに到着した。

 宿に荷をほどき、早速、大聖堂を目指す…。その前に、「セント・デイヴィッズ」の歴史を解説!

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 * * *

IV 大聖堂「セント・デイヴィッズ」と炎の聖職者ジェラルド<1>

(2017/4/10 セント・デイヴィッズ)

●聖人デイヴィッドとは

 さて、ここで「セント・デイヴィッズ」とジェラルド・オブ・ウェールズについて、一通り説明しておきたい。

「セント・デイヴィッズ」とは、ウェールズの聖人デイヴィッドが建てたとされる大聖堂(カテドラル:Cathedral)のことである。

 アイルランドに「セント・パトリック」、スコットランドに「セント・アンドリュース」、イングランドに「セント・ジョージ」という国の守護聖人がいるように、ウェールズではこのデイヴィッドが守護聖人である。

 この大聖堂には現在ウェールズに6つ(1921年以前は4つ)ある司教の座の一つが置かれている。

 デイヴィッドの命日とされている3月1日はウェールズでは「セント・デイヴィッズ・デイ」と定められていて、人々は毎年この日、各地で盛大に祝賀の催しを行う。

 デイヴィドが6世紀(500年~589年頃)に実在した聖職者だったことは現在ではほぼ事実とされているが、彼の生涯や業績については謎だらけである。

 伝承によればデイヴィッドはレイプよって生まれた子とされている。

「セント・デイヴィッズ」のスーベニアショップで売られている公式ガイドブックには、デイヴィッドの母は修道女のノンで、彼女は現大聖堂の約3キロほど南にある崖淵でデイヴィッドを産み落としたと記されている。

 いまそこにはノンを奉ったとても小さなチャペルの廃墟がある。ノンは土地の有力者の娘であり、彼女を犯したのは、つまりデイヴィッドの父親は、ケレディギオンの王サンクトゥスという。

 こんな出自のデイヴィッドだが、彼は修道院で修行に励み、敬虔なキリスト教の伝道者となりウェールズ各地やフランスのブルュターニュへ布教の旅を続け、各地に聖人につきものの数多くの奇跡伝説を残していく。

 彼は生まれ故郷のメネヴィアにも修道院を建てるが、これが今日の「セント・デイヴィッズ」である。

 そののちデイヴィッドはウェールズのカイルレオンで高位の聖職者として活動を続け、晩年になると生まれ故郷である南西ウェールズのメネヴィアに戻り、彼が建てた修道院(現在の大聖堂「セント・デイヴィッズ」)で亡くなったとされている。

●「セント・デイヴィッズ」の秘密

 以上が聖人デイヴィッドと大聖堂セント・デイヴィッズの概略だが、実はこの大聖堂には大きな秘密があった。

 その昔、ウェールズ全土は大司教を擁する首都大司教区(Metropolitan)であり、「セント・デイヴィッズ」はその中心の教会、すなわち大司教(archbishop)の座が置かれていた大聖堂だったという伝承である。

 これを歴史学的には「『セント・デイヴィッズ』のメトロポリタン・イッシュー」という。

 現在ウェールズには大司教がいるが、これは1920年以降に新たに設けられた座であり、それ以前はウェールズの全ての司教区はイングランドのカンタベリー大司教の管轄下にあった。

 古(いにしえ)のウェールズに大司教がいたという言い伝えは11世紀、「セント・デイヴィッズ」の司教シリエンの息子でフリギファルクというウェールズ人著述家の著作『デイヴィッドの生涯』(The Life of David)に記されている。

 これによれば、デイヴィッドはウェールズで最初の大司教になった人物だという。

 また、それより1世紀ほど後の12世紀、ウェールズ人聖職者で著述家のジェフリー・オブ・モンマウスが著した『ブリタニア列王史』(The History of the Kings of Britain)によれば、古来ブリテン島にはイングランドのロンドンとヨークのほかに、ウェールズのカイルレオンの三つの首都大司教区があったという。

 このカイルレオンの大司教だったデイヴィッドが死んだ地は、前述のフリギファルクが記したようにメネヴィアの修道院(現在の「セント・デイヴィッズ」)だった。けれども大司教の座はあくまでもカイルレオンにあった。

『ブリタニア列王史』によると、ここでアーサー王物語でおなじみの魔法使いマーリーンが登場し、「メネヴィアはカイルレオンのパリウムで覆われるだろう」と予言する。

 パリウムとは、教皇が大司教のしるしとして授ける肩衣のことで、ゆえにマーリーンの予言は大司教の座はカイルレオンからメネヴィア、すなわち「セント・デイヴィッズ」に移ることを意味しているというわけである。

 まあ、フリギファルクの『デイヴィッドの生涯』も、ジェフリー・オブ・モンマウスの『ブリタニア列王史』も信憑性に関しては二の次であり、とくに『ブリタニア列王史』に至ってはマーリーンが出てくるなど、その内容は呆れるほどひどい偽史書である。

 よって、これらの書籍をもって「セント・デイヴィッズ」がかつて大司教を擁する教会だったとすることには無理がある。

 けれども、「セント・デイヴィッズ」に大司教の座があったとする人々のいい言い伝えや古記録の類は、ウェールズには、とくにウェールズの聖職界には昔からあり、前述の2つの本もこれらの伝承があればこそ、まとめられたものであることは確かなわけで、よってこの2つの本に信憑性がないからと、「『セント・デイヴィッズ』のメトロポリタン・イッシュー」はそもそもが作り話だと全否定することはできない。

 というか、ウェールズがその昔、首都大司教区だったことは可能性の問題として、あっても決しておかしくはない話である。

 なぜかというと、ウェールズ人の先祖であるブリトン人はブリテン島では最も早くキリスト教の信者になったからだ。

●キリスト教を駆逐したアングロサクソン人

 紀元43年から410年までの約400年の間、ブリテン島はローマ皇帝直轄の属州ブリタンニアだった。

 そのブリタンニアの住人が、ローマ人からブリトン人と呼ばれたケルト人で、現ウェールズ人はこのブリトン人の末裔(まつえい)にあたる。このローマ領ブリタンニアだった時代に、ブリテン島には絢爛たるローマの文化が入ってきた。

 そして、キリスト教もまた313年、コンスタンティヌス帝のミラノの勅令による公認以来、いち早くブリテン島に入ってきてブリトン人たちの間に急速に広まっていった。

 ブリテン島各地には修道院が建てられ、ブリトン人修道士たちはブリテン島のみならず、大陸各地へも積極的にキリスト教の布教に行くようになっていった。先のアイルランドの守護聖人セント・パトリックも、実は4世紀中ごろ、ブリテン島南西部、つまり現在のウェールズのキリスト教徒の家に生まれたブリトン人なのである。

 けれども、後にイングランドと呼ばれるようになるブリテン島の広範な地域においては、キリスト教はその継続性をいったん絶たれてしまう。

 これはブリトン人が「蛮族」と呼んだアングロサクソン人が侵入してきたからである。

 大陸ユトランド半島を中心とした地域に住んでいたジュート人、サクソン人、アングル人たち、すなわち今日アングロサクソン人と総称されるゲルマン人の一支族が五世紀中盤以降、続々と船を連ねて来寇(らいこう)しブリトン人を駆逐しながらブリテン島の広範な地域を乗っ取ってしまったのだ。

 彼らアングロサクソン人がブリトン人から奪取した地が、今日のイングランドである。

 ちなみにイングランドという言葉はアングル人(アングロサクソン人)の国という意味のアングルランド(Angle Land)に由来している。このアングロサクソン人は、オーディンを主神とするゲルマンの神々を信奉する全くの異教徒だった。

 つまり彼らがブリテン島で土地を奪っていく過程は、ブリテン島からのキリスト教の駆逐だったのである。

 こうしてキリスト教は、いったんイングランドの地から消滅した。

 その後6世紀の最終盤、ほとんど7世紀といってもいい頃に、アウグスティヌスを団長としたローマ教皇直々の指示によるキリスト教伝道団がブリテン島南東部(今日のケント州)に上陸し、再度のキリスト教化が始まる。

 そして、それから200年近くかかって全イングランドのキリスト教化が完成する。

 このアウグスティヌスが初代カンタベリー大司教である。

●大司教の座があっても不思議ではない

 これに対し、ブリトン人がアングロサクソン人の攻勢から死守した彼らの聖域であるウェールズの地においては、ローマ時代にキリスト教が入ってきてからその継続性が絶たれることは決してなかった。

 つまり、キリスト教の受容と、修道院や教会などキリスト教としての宗教組織・インフラの形成や発展においては、ウェールズは遥かにイングランドよりも先進地域だったのである。

 歴史を見るに、ウェールズはイングランドに押され続け、ついには16世紀、イングランドに併合されてしまった過去がある。

 イングランドに複雑な、ある種、屈折した思いを持つウェールズ人にとっては、だからこそキリスト教にかけてはイングランドなんぞに負けはしないという強烈な思い込みがあり、それは過去から現在に至るまで教会人のみならず一般のウェールズ人の誇り、プライドとなっている。

 私は、自分が所属している在日ウェールズ人の団体のパーティで、ウェールズの人々がイングランド人をPagans(ペイガンズ:異教徒ども)と言ったのを覚えている。もちろん半分冗談でこういう言葉が出たのだが。

 こういうキリスト教に関する歴史的経緯から、ウェールズがもともと大司教を擁していた地だったことは可能性としては決して否定できない。

 アウグスティヌスがイングランドで初代カンタベリー大司教になったときより100年以上も前にデイヴィッドが、またパトリックに至っては優に200年以上も前に、高位のキリスト教伝道者として大陸も含め布教活動をしている。

 そんな聖職者たちを輩出しているウェールズの地に、キリスト教初期の首都大司教区があり、大司教がいても矛盾はない。

 私は、そのことを証明する決定的な古記録、史料がまだ見つかってないだけのことかもしれないと、ぼんやり思っている。

 とにかく、私にとってはこの、大司教の座があったという謂れを持つ「セント・デイヴィッズ」はすごい教会なのであり、たまらなくミステリアスなのである。

 ドビュッシーに『沈める寺院』(The Sunken Cathedral)という曲があるが、私はこれを聞くと頭の中に「セント・デイヴィッズ」が浮かび上がってきて仕方がない。

 何と神秘に満ちたカテドラルだろう。

 この「セント・デイヴィッズ」に再び大司教の座を置くべく、イングランドと敢然と闘ったのが、ジェラルド・オブ・ウェールズだったのだ。

 戦ったではなく「闘った」と書いたのは、武器を持ってではなく、信条をもってやり合ったからである。

→第8回を読む

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

 

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