《火事を乗り越えて》林家ペーさん84歳が貫く「生涯一芸人」 元マネジャーの68歳ライターが新年に学んだ「生き方」
昨年は自宅マンションが火災に見舞われた林家ペーさん(84歳)。火災後、そのペーさんを支えたのが、元マネジャーでライターのオバ記者こと野原広子氏(68歳)だ。野原氏が自身の経験を振り返りながら、ペーさんの生き方から学んだことについて綴る。
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新年早々にペーさんインタビュー
2026年の年初め、1月2日からインタビューを始めた私。こんなこと、47年のライター人生で初めてだ。インタビュー相手は昨年の夏に25年ぶりに再会してから、火事やら何やらで気がつくとすっかり身近な人になっていた林家ペーさんだ。
ぺーさんの話は後に回して、とりあえず初詣のこと。思えば気持ちを新たに神前で手を合わせたのはいつ以来だったかしら。2017年の6月に年子の弟が58歳で亡くなったのがすべての始まりで、8か月後には義父が83歳で他界。その翌年の2019年の夏には19年暮らした愛猫三四郎が私の腕の中で亡くなり、翌2020年からコロナが猛威をふるう中、90歳の母親が入退院。
2021年の夏からその母親を枕を並べてシモの世話をしたあげく、2022年春に見送った。そうしたらその秋に私が婦人科系の病で大手術。それで退院したら幼なじみの親友がすい臓がんで10日後にあっけなく他界した。
“激動の6年”に「自分の感情にかまっていられない」
まさにわが人生の激動の6年で、「大変だったでしょ?」と人は言うけれど、ここまで災難が降りかかると、目の前の火の粉を払うのに精いっぱいでね。大変とか、寂しいとか、自分の感情にかまっていられないんだよ。
「そうか。もう〇〇はこの世にいないんだな〜」と何かの拍子にがく然とするようになったのは、つい最近のことだ。〇〇はその時によっていろいろだけど、自分でも意外なのは生前いちばん情が薄いと思っていた義理の父、ケイゾウをひんぱんに思い出すことなの。
11歳年下の弟はそのケイゾウの子だけれど、足が早かった以外、まったく似ていない。母親だって自分で産んでおいて「なんであんなにいい子供ができたかな〜」と首を傾げていたくらいだ。私のことを「あのガギメが」と言っていたのとは大違いよ。
ちなみにガギメは、漢字で書けば“餓鬼め”。茨城の昭和初期の生まれしか使わない言葉で、手のつけられない子供という意味。
で、今年はその弟とその妻のNと筑波山の麓、椎尾山薬王院へ初詣した。ここはわが故郷の1200年の歴史がある古寺、というより、中学の先輩の家でね。シュッとした美男の先輩に憧れていた同級生が何人もいたっけ。
「生涯一芸人」を貫くペーさん
先輩とは卒業以来、一度もお会いしていないし、ご実家を継がれたのかどうかも不明。私が参拝したのも今回が初めてだ。しかし、それにしてもよ。参拝するにはこの階段をよじ登れってか。
自然石を重ねた階段は急なだけじゃなくて不規則。一段一段、よいしょ、よいしょと息を切らせて上がるんだけど、そういえば私、心房細動と不整脈と、心房弁膜症という心臓に持病があって医師に処方された薬を毎日飲んでいる身なんだよね。階段の前でたじろぐ自分にたじろいだわよ。そしてあーあ、人の一生って案外あっけないもんだなと思いかけた。
が、ちょっと待って! ド太いスダジイ(椎の木)に触ったとたん、気が変わったの。これ以上の好き放題のねじれっぷり、よじれっぷりってある?
で、ぺーさんだけどね。84歳の今もパー子さんといっしょにお笑い芸人としての筋を通している。昨年9月に自宅が火事になってずいぶん気落ちしたに違いないんだけど、インタビューをすればするほど林家ペーなんだよね。つまりどこから切り込んでもキッチュなピンクで混じり気がない。それはもう見事なもの!
そんなわけで2026年。ぺーさんが生涯一芸人なら私も生涯一オバを貫きたいなと、そんなことを思ったのでした。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。2021年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。実母の介護も経験している。
