YouTubeシニアインフルエンサーの素顔「動画配信のきっかけは父親を亡くした喪失感」
小中高生のなりたい職業で上位にランキングされるほどの人気の仕事が、動画サイト「YouTube」に動画をアップして広告収入を得るユーチューバーと言われる人たち。YouTubeの魅力は、誰でも動画による情報発信ができることで、最近では利用者の年齢層も広がっている。
Youtubeでシニアインフルエンサーとして5000人以上のチャンネル登録者を持つ、73才の成羽(なりわ)さんの素顔に迫った。
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父親のために介護離職
成羽さんは現在、精力的に動画をアップしている。内容は、成羽さんの買い物や旅行の様子など日々の生活の様子や、流行していること、新たなことへのチャレンジなど多岐にわたっている。視聴者にはリピーターも多く、新規に視聴する人も増加中だ。
動画投稿にはまったく興味がなかったと語る成羽さん。生活の転機になったのは、父の介護だったという。
「私は長らく東京で会社勤めをしていました。生活に転機が訪れたのは、実家の岡山に住んでいた母が亡くなったことです。90歳近い年齢の父が一人残されることになったので、私は『東京で一緒に暮らしましょう』と言いましたが、父は『母の三回忌が済むまでは地元は出ない』と言うんです。ようやく上京してきたのは、2017年5月のことでした」
むしろ仕事と介護の両立で、忙しい日々を過ごしていた。父親は上京した当初、家にこもっている時間が多かったが、町内会の旅行に参加して以来、イキイキとした日々を過ごすようになったという。
「旅行をきっかけにお友だちができて、地域の輪投げ大会やカラオケなどに参加するようになりました。母が華道の先生をしていたので父も心得があり、お花の先生のお手伝いもするようにもなりました。自転車を購入して乗り回したりもしていましたし、90歳とは思えないほど元気に暮らしていたんです」
父親の体に異変が生じたのは、それから半年が過ぎたころだった。
「岡山の実家の片づけをしたいと、父は一人で帰省しました。数日後、東京に戻ってから片足を引きずりはじめ、『歩くのがつらい』と訴えるようになりました。精密検査を受けた結果、末期の前立腺がんということがわかりました。年齢的なこともあり、手術はせずにホルモン療法を受けることになりました」
治療を開始してからも、父親はそれなりに元気に過ごしていたそうだ。しかし、2018年の春ごろから状況が変わりはじめた。
「私は会社勤めを続けていたので、毎日の夕飯は父が作ってくれていたんです。でも、ある日、『もう夕飯を作るのは無理かもしれない』と言われました。そのころの父は、朝はちゃんと起きて身支度をするものの、その後はソファに横になっているような状態でした。私はそこで、スッパリと仕事を辞めて父の介護に専念することに決めたんです」
成羽さんが父親に「延命治療をせずに入院できるところはないだろうか」と相談を受けたのは2018年4月のこと。そのころのすでに、入浴をするのにもひと苦労だったという。
「インターネットでホスピスを探して父と相談し、運よく父が気に入ったところに入院することができました。私は自宅から電車と徒歩で片道1時間近くかけて毎日、父のもとに通いました。5分でもいいから日に1度は、私の顔を見せたいと思ったんです」
父親が亡くなったのは、入院してから約2か月後の2018年7月のことだった。
「実は、父はそう長くはないと告げられていたんです。2か月ももったことに担当のお医者さんも驚かれて、『生命力の強い方でしたね』とおっしゃっていただきました。ただ、それからの私は喪失感から、日中は街をさまようような生活を送っていました。自宅には父の思い出がいっぱいあるので、家にいるのがつらかったんです。そんな状態が2年近くも続きました」
動画配信が変えてくれたこと
失意の底にある成羽さんを心配したのが、近くに住む娘さんだった。
「娘が『気晴らしにハワイに行かない?』と誘ってくれたんです。旅行前にインターネットでハワイのことを調べるうちに、YouTubeの動画に出合いました。当時はユーチューバーという存在を知らなかったものの、面白く拝見していました。私は書道やチョークアートといった習い事をしていたのですが、父が亡くなってからは何も手につかなかったんです。でも、ハワイの動画を見て以来、頭の片隅に動画配信のことが引っかかっていました」
娘さんとのハワイ旅行中、成羽さんは「自撮り」もできるビデオカメラをレンタルし、ハワイの景色などを撮影した。
「そうするうちに、動画で何かを発信しようとYouTubeを使ってみることを思い立ちました。でも、登録をするだけで四苦八苦。ようやく登録ができても、今度は動画のアップロードの方法がわからないんです。結局、ユーチューバーとして活動を始めるまでに、半年近くかかってしまいました」
成羽さんが動画の配信デビューをしたのは69歳のとき。最初に上げた動画は、寝台特急カシオペアのものだった。
「カシオペアが終了すると知り、ぜひ乗ってみたいと思ったんです。運よくチケットが取れたので『この旅行の動画から始めよう』と決心しました。最初にアップロードした動画は、カシオペアの列車の連結風景。おしゃべりもBGMもなく、ただ車両を写しているだけのものでした。それ以来、少しずつ動画を上げはじめたのですが、編集作業もなにもしない、撮っただけのものでした」
成羽さんは動画投稿をしつつ他の配信者を参考に、動画の内容が一目でわかるサムネイルの作り方や動画編集を学んでいったという。
「昔、初めて自分のパソコンを購入した際に、マニュアル本を見ながらすべての設定を自分で行ったんです。YouTubeに関しても、すべて独学で学びました。そんな風に動画配信と向き合っているうちに、どんどんやる気がわいてきたんです」
当初は一週間から10日に1本程度しか動画を上げていなかったという成羽さんだが、その頻度は徐々に増えていった。現在は毎日、新しい動画をアップロードしている。
「自分の日常や経験してきたことを思いつくままにノートに書き、ネタ帳を作っています。毎日、朝一番にニュースサイトを見て、そこから話題を拾うこともありますね。いつの間にか、朝6時に起きて食事と身支度を済ませてからニュースサイトに目を通し、それから撮影や編集を行い、空いた時間に散歩に出かけ、夜は11時までには就寝という生活サイクルが出来上がっていました」
動画を配信する中で、他の配信者や視聴者との交流も持つようになった。
「ユーチューバーになったおかげで、若い世代の方ともたくさん知り合うことができるようになりました。視聴者の小学生の方に、『僕のおばあちゃんだったらいいのに』とコメントをいただいたときには驚きました。私は以前はあまり笑わない人だったのですが、動画で明るい表情を心がけているうちに、自然な笑顔ができるようになったんです」
視聴者数も増え動画の内容が面白いということで、2月12日(火)、様々な業界や領域で多様化する働き方を楽しむ人を「グッドワーキスタ」として表彰する「PERSOL Work-Style AWORD」のシニア部門を受賞した。
「私のチャンネルを見た同年代の方から、『いい年をして、どうしてそんなことをするんですか?』と言われたこともあります。でも、何かを始めるのに年齢は関係ないと実感しています。私の世代の人たちは、これまで子どもを育てたり、仕事を勤めあげたりしてきたわけですから、この先は自分の人生を堂々と生きてもいいと思うんです。私は生きている限り、YouTubeに動画を上げ続けたいと考えています。あの世に行くときに、何か一つでも『あぁ、がんばった』、『楽しかった』というものになればいいなって」
成羽(なりわ)
1945年生まれ。2015年にユーチューバーとしての活動を開始。当初はパソコンを活用していたが、現在はスマートホンで撮影から動画編集までを行っている。2012年2月「PERSOL Work-Style AWORD」シニア部門を受賞。2019年3月の時点で、チャンネル登録者数は約5800人。趣味は書道、チョークアート、旅行など。現在は「東海道五十三次を歩くツアー」に参加中。
取材・文 熊谷あづさ