92才介護職員、91才海女文化伝承者 90代で働き続ける女性の原動力は「情熱、好奇心」
「これまでの人生はえらい早いような気がしますの。せわしなかったからかなあ」
昭和6年11月17日三重県生まれ
好きなもの:裁縫、木村拓哉
「学校に上がるか上がらないかのときから潜る稽古をしていました」
野村禮子さんは三重県鳥羽市・相差(おうさつ)町で、80才まで現役の海女として活躍。現在は、観光客向けの海女小屋『はちまんかまど』で、海女文化を紹介している。
「14才で海女になりました。その頃はウエットスーツがなく木綿1枚やったから、1回につき30分くらいしか潜れなかった(現在は90分)。獲れるのはアワビやサザエ、ウニ。冬はナマコの大きいのが海底を這っていて、それを手づかみで取るんです」(禮子さん・以下同)
禮子さんは43才で建設会社を営むご主人を亡くし、長男の一弘さんが一人前になるまで、海女と建設会社社長の二刀流だったこともある。
そして2003年、72才のときに転機が訪れた。
「鳥羽市から『アメリカのお客さまに向け、海女小屋で海女さんの話を聞かせてもらえませんか?』と依頼がきて、引き受けました」
海女小屋を初めて外部に開放し、その仕事ぶりを紹介したのだった。
「後から『どこの観光地より海女小屋がいちばんよかった』と言うてくれまして。私らもうれしかったですね」
その後、禮子さんは一弘さんと『はちまんかまど』を開設。現役海女がおもてなしをしてくれる日本初の海女小屋体験施設として、相差町の「観光のシンボル」になった。
「本当は85才まで海女をしたかったんやけど、こちらが忙しくなり、80才で潜るのをやめました」
ここまでの人生は長かったのか、短かったのか…。
「それがえらい早いような気がしますの。せわしなかったからですかね」
いまでも休日は週に1日だというが、どうしたらそんなに元気に過ごせるのだろうか?
「私らの仕事はいつも太陽の下におって、室内でのごちゃごちゃした仕事がひとつもないの。それが理由かなと思いますね」
かつて200名いたという相差の海女も、いまは80名ほどに減少している。
「海女も減っているけれど、温暖化で、いちばんおいしい夏のウニも獲れなくなっている。いろいろ心配なこともあるけれど、私はできるだけ長く海女の文化を伝え続けていきたいです」
昨年、三重県の観光産業貢献に寄与したことが評価され、「産業功労者表彰」を受賞した禮子さん。その笑顔を見に、鳥羽へ行きたくなる人も多い。
取材・文/佐藤有栄
※女性セブン2023年9月28日号
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