認知症の母、どんどん料理ができなくなる…現実と受け止め方
東京在住の工藤広伸さんは、岩手に住む認知症の母の遠距離介護を続けている。祖母や父の介護経験もあり、その中で学んだこと、経験したことなどをブログや書籍で広く発信中だ。
当サイトで執筆中のシリーズ「息子の遠距離介護サバイバル術」でも、家族の介護をする人ならではの視点が、すぐに役立つと話題。
今回のテーマは「母の料理」。料理上手で、母も工藤さんもそれが自慢だったが、認知症のためその腕前の衰えが目立ってきたという母に寄せる息子の気持ちを切々と綴る。
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「日本一」と褒められたこともある料理上手な母
今まで普通にできていたことが、ある日を境にできなくなってしまう……認知症介護を経験したことのあるご家族なら、誰もがこういう場面に遭遇すると思います。
わたしが中学生のころ、母は大手企業の社員寮の寮母でした。全国から盛岡へ単身赴任で来る若手社員のために、母はいつもテレビや本で料理の研究をしていましたし、わたしと外食に行ったときも、料理に使われている材料をメモし、隠し味に使われている調味料が何かを探っていました。
そんな研究熱心だった母の努力は、若手社員たちにも伝わったようで、
「盛岡のおばさんの料理は、日本一美味しいと思います」
そう声をかけられたことを、わたしによく自慢していました。
人から料理を褒めてもらうことが母の誇りであり、生きがいでした。わたしも、東京の友人を実家へ招待しては、母の料理を食べてもらっていた時期もあります。
認知症になった今でも母は、自分は昔と変わらないレベルで料理ができると思っていますし、実際に料理を作り、自ら試食したあとでも、その思いは変わりません。
しかし、必要な材料を揃えたり、たくさんの調味料や香辛料を使いこなしたり、微妙な火加減の調節をしたりすることは、認知症の進行によって、どんどんできなくなります。おふくろの味を未だに覚えているわたしからすれば、見た目も味も当時とはまるで違うことはすぐ分かります。
それでも、シンプルなちらし寿司や麻婆豆腐なら、昔の味を再現できるかもしれないと考えたわたしは、必要な材料を一通り揃え、台所の上に並べて完成を待ちました。
「ほら、久しぶりに作ったけど、ちゃんと出来たわよ!」
自信満々な母の言葉とは裏腹に、出てきた料理を見たわたしは驚きました。ちらし寿司は白飯に材料をちらしただけ、麻婆豆腐はとろみがなく、サラサラとした仕上がり。味は昔と変わらないかもしれないと期待したのですが、我慢して食べないといけないレベルで、若手社員に日本一と言われた母は、もうそこにはいませんでした。
麻婆豆腐より簡単なカレーライスならできるかもしれないと思い、母に作ってもらいました。市販のルーを鍋に入れて煮込みさえすれば、それなりのカレーができるだろう、わたしはそう思ったのです。
できあがったカレーライスの見た目は、全く問題ありません。しかし、口に入れてみると、ドロドロで、明らかに味が濃い…。なぜこんな味になってしまったのかと、台所を調べてみると、母は分量を考えずに、カレーのルーを1箱使い切っていました。
母は作り方や分量を忘れるだけでなく、調味料を入れ忘れることもよくあります。だしが効いていないみそ汁、味のないもやし炒めなど、口に入れた瞬間に思わず「ん?」と言ってしまう料理が出てくることは、日常茶飯事です。
あれだけ料理が得意だった母のどんどん料理ができなくなっていく姿を間近で見ているわたしは、「これが認知症の進行なのか」と思うことがよくあります。これが逃げられない現実であり、この先にはもっと切ない未来が待っていることも想像できます。
失ったものを数えず、できることを数える
母のイメージとは程遠い料理が次々と出てくるので、わたしは食べられる料理だけを選別して、リクエストするようになりました。
残ったレパートリーは、目玉焼き、もやし炒め、きんぴらごぼう、みそ汁、煮物、おひたし、ラーメン、使える調味料は砂糖、塩、しょうゆ、サラダ油です。完成した料理は、いつも何か物足りなさを感じる仕上がりです。
わが家の食卓は、同じ料理のヘビーローテーションになっていますが、それでも母は楽しそうに料理をしています。他の料理が食べたいと思ったら、わたしが作ったり、外食に行ったりすることもよくあります。
認知症介護において、「失ったものを数えるのではなく、まだできることを数えたほうがいい」という話を聞いたことがあります。料理のレパートリーの数が減っていく寂しさや切なさを感じるのではなく、「まだ目玉焼きが焼ける、みそ汁を作ることができる」と喜びを感じなさいということなのだと思います。
いずれ母は、こういった簡単な料理ですら、作れなくなると思います。わたしやヘルパーさんが料理を作り、母は食べるだけになる日はそう遠くはないかもしれません。それでも、リンゴの皮むきや料理の盛り付けなど、母が最期までできる役割を探すことが、わたしが介護者としてやるべきことなのだと思います。
亡くなる直前の祖母は、病院のベッドで寝ているだけで、何もすることはなかったのですが、それでも「生きている」という立派な役割がありました。認知症が進行して、すべて誰かの手を借りて生きていく状態になったとしても、支える家族がそれでも構わないと思うのなら、そこに居るだけでも立派に役割を果たすことになるのではないでしょうか?
今日もしれっと、しれっと。
工藤広伸(くどうひろのぶ)
祖母(認知症+子宮頸がん・要介護3)と母のW遠距離介護。2013年3月に介護退職。同年11月、祖母死去。現在も東京と岩手を年間約20往復、書くことを生業にしれっと介護を続ける介護作家・ブロガー。認知症ライフパートナー2級、認知症介助士、なないろのとびら診療所(岩手県盛岡市)地域医療推進室非常勤。ブログ「40歳からの遠距離介護」運営(https://40kaigo.net/)