コメント
この記事へのみんなのコメント
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kirichan
2024-11-20
昨年末、夫は遠くへ旅立ちました。 医療過誤の疑念が消えないまま、弱い患者は泣き寝入りです。涙にくれるⅠ年が過ぎました。 夫の無念、絶望、悔しさを考えると胸が苦しく辛く、自分がどうかなりそうで怖くなりました。 友人もなく話し相手もいない自分、これではいけないとつとめて外出するようにしました。 海外旅行が趣味の夫は世界中を見て回り、数えきれないほどの思い出を遺してくれました。 どれをとっても夫のぬくもり、声や動作が思い出されまた涙にくれます。 独り暮らしになった今、こちらの「自分のために生きる」コーナーにふっと目が留まり、どうすれば今の精神状態から抜け出せるか悩む中、書かれている内容はまさに自分が一番意識すべきこと、あるべき姿ではないかと目が覚める思いがしました。 そうなんですね、死は生きている人間の定め、伴侶を失った悲しい気持ちは癒えることはないですが、とりあえず元の生活リズムに戻し、当たり前の日常を迎えること、それが何よりの夫への供養だと考えました。 本当にありがとうございました。
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のりこ
2023-09-01
70才の夫が突然旅立ち12年過ぎました。 あまりの出来事に 涙も出ず鬱になりました。 2か月後 とにかく外に出なければと 休んでいたジムを再開しました。 仲良しに会ってなんでもないおしゃべりが 心を癒してくれました。 楽しいダンスの先生のレッスンをうけるうち いつのまにか鬱が治りました。 半年後 突然涙が止まらなくなりました。 やっと 亡くなったことを実感したのです。 それでも完全回復まで7年間かかりました。 主人とデートした場所など グーグルアースで何回も見て回りました。 忘れようとしないで 今も毎日大好きだった主人を思い出しています。
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もも
2023-09-01
主人が肺炎で急に亡くなりました。 仕事も家でも何時も一緒でした。 朝起きてお父さんコーヒー飲む?主人は決まって良いね。お母さんのコーヒーが1番美味しいって、もう一緒に飲む事も出来なくなりました。これから無趣味の私は何をして過ごしたら良いか。とても不安です。夜も眠れません。
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まおタン
2022-03-26
夫を亡くして2週間経ちました。あまりにも突然の事で現実を受け止められず毎日泣き明かしています。夫婦二人の生活が長かったので急に独りで生活するのは淋しくて心細くて辛い。遺影に話しかけながら泣いている毎日です。子供たちは離れて暮らしているので無理は言えません。泣いても泣いても涙が枯れる事はないのですね。
最近のコメント
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そらとぶうさぎ
2026-02-14
昨年夫が若年性認知症と診断され、母の病状もよくなく(その後9月に亡くなってしまいました)戸惑い、何か情報をと思い焦って色々調べていくうちの中で、ツガエさんの連載に行き当たりました。お兄様への寄り添い方、時にモーレツに怒りが湧いてくる、鬱陶しいなど今の私の気持ちを吐き出してくれているかのような内容に出会い、そうそれよ、この気持ちなのよ!と手を叩かずにはおれませんでした。ツガエさんとお兄様の年齢はおそらく我が夫婦と同年齢、、ツガエさんがなんで私がこんな事を…と思うのも兄妹、夫婦の違いがあれどすごくよくわかりました。今はまだ夫婦ともなんとか働いておりますが、この先いつ職場に夫の事を打ち明け、仕事を辞める時期をどうしようかとお金の事情も絡めつつ思い悩んでおります。。まだ夫はどうにか私のフォローで仕事はしておりますが…危うい場面は多々あります。泣 家族もまだ私が夫の世話できるでしょみたいな感覚でして、1人で思い悩んで辛くなり、眠れぬ夜を過ごし明け方まで…などとなる時も多々あり…ツガエさんには特養に入られたお兄様の状況などご自身の思い、考え等これからも発信していってくださいませ。私はこの先訪れるであろう、オシモの世話、どこに何を聞けばいいのか、介護認定、ケアマネ、特養の事など参考にさせていただき、この人生の荒波を乗りこなしていけるように頑張ります。ツガエさんの時に面白く、シュールな連載を楽しみにしつつ私も健康、人づきあいの筋トレを意識しながら日々暮らしてまいります。ありがとうございます。
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月香
2026-02-13
私も押し入れの中に大事に置いたままのガスボンベがありその時点で調べて10年位の物もありどうしようかと思っておりましたが、一応ベランダでカセットコンロに装着し火を付けましたら問題なく点火しました。そのまま使い切ろうと思いずっと付けておきましたがそれはそれで勿体ない気持ちになり、ヤカンを乗せてお湯を沸かしました。カセットボンベは何本かありましたのでヤカン何杯分かお湯が出来ました。ベランダでガスを抜く作業は絶対にダメだと禁止されているのであれば、コンロに装着し使ってみてください。使えばガスは溜まりませんよ。
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まう
2026-02-12
一気に読ませていただいてます。少しでも、天国のお母様に気持ちが届いてますように、作者様に今癒やしの時間がありますようにと願いながら読ませていただいてます。そして「わかるなぁ」と、おとなしく読ませていただくだけのつもりが、どうしてもコメントをさせていただきたくなりました。 作者様はその都度その都度、出来る最大限のことをお母様にされたと本当に思います。 例え「ありがとう」が返ってこなくて文句のような答えが返ってきたとしても、繰り返し繰り返し できる最大限のことをされたと思います。 私もそうだったと信じたいですし、信じています。私のことを少しだけ吐き出させてくださいませ。 2020年3月、旅行業という私の仕事も状況が変わり、母が同時期に倒れ、そこからはリモートワークや病院勤めで耳にヘッドセットをつけながら母の食事を作っていましたっけ。私も器が大きくなかったのか 苛立つこともありました。 ですが、亡くしてから3年、母のことを想わない日は1日もありません。母がいよいよ数時間でお別れかという時、病室の酸素吸入の音と肩で息をする母を抱きしめました。 どうして、恥ずかしくてもなんでも、母が家で生活してくれていたときに1度でも抱きしめなかったんだろうとそれだけが心残りです。自らの病が辛かったのでしょう。徐々に生きる気力をなくした母に「生きて居てくれるだけでいいんだよ」と言ったのですが、母自身がやはり気力をなくす程辛かったのだと想います。 亡くしてから(介護者自身に余裕や空白の時間ができてから)感じることもあると想います。 偏食の母が心配すぎて病院なのに差し入れ夕食を毎日のように持っていきました、が 今想うのは、母が元気なときに、本当に優しくしたかった(でも照れくささや甘えでできなかった)。 病院に対して感じるのは、感謝と、母へ持って行ったスプーンフォークセット(こどものお弁当のような)が、なんだか綺麗なままで、、「母はちゃんと食べさせてもらっていたのかな」ということも考え、切なくなんともいえない気持ちになりました。 意思疎通ができる間に、自分の家族や周囲や、出会う人に、誠実に接していこうと感じます。母も安心するでしょう。 突然でてきた作者さんの記事、読ませていただいて本当に有難うございます。沢山泣いて、すっきりしたように想います。
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