兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第107回 疑心暗鬼】
若年性認知症を患う兄の頻発する“お便さま”の問題に、このところ頭を悩ます妹のツガエマナミコさん。そんな中、ワクチン接種でも、期待していたこととは違う流れに…。ツガエさんに、心安まるときは、なかなか訪れない今日この頃なのです。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
「なんや話が違うやんけっ!」
ワクチン接種券が届きました。
世間で接種が始まった当初は、友人たちが「親の予約でたいへん」とこぼしておりました。その大変さを聞いて「うちはもう両親ともいないからよかった~」と思ったものでございます。
自分はいつになっても構わないので、いまのところ予約もしておりません。
でも、兄は内科医院と連携しているデイサービスに通っているので「楽勝」のはずでした。5月の段階ですでに「当医院でもワクチン接種ができるようになりました。接種券が届いている方でご希望の方は次の来所時に~」と連絡帳にお知らせの紙が入っていたのです。
接種券が届いたことを言えば、「どうぞどうぞ。かかりつけ医の許可だけ取って来てくださいね~」と言ってもらえるとばかり思っていましたのに、デイの日に「接種券が届いたんですけど」とスタッフの方に言ってみますと、意外にも「かかりつけの病院でご相談いただけますか? こちらの病院は、やはりこちらの病院に通っている患者さんがメインなので」とやんわり断られてしまいました。
「なんや話が違うやんけっ!」と言いたいところでしたが、そこは大人の対応で、波風立てずに「はい、わかりました」と帰ってまいりました。
世の中とは往々にしてこういうものでございます。いかにもウエルカムな雰囲気を漂わせていても実際は条件を満たしていないと締め出されてしまうのです。
兄のかかりつけ医といえば財前先生(仮)。次の診察日は1か月後。う~む。どうなることやら…。
そういえば、新しいお薬を止めてみて1週間が経ちました。頻発していた脱糞事件がしばらくないので再びのませてみようと思っております。これでまた脱糞事件が頻発するようでしたら、それは財前先生(仮)にご報告しなければなりません。
そもそも脱糞事件は新しいお薬をのむ前からあったのですから、一概に新しいお薬が原因とはいえません。決まって“緩いお便”さんなので寝冷えや冷たいものの取り過ぎ、わたくしが調理した食べた物に当たった可能性も十分にあります。
「お腹大丈夫?」と訊くと、兄はたいてい「え?何が?大丈夫だよ」と答えます。先日の脱糞事件の後も、「お腹痛かったの?」と訊いたところ、「え?そんなこと言ったっけ?」と返答されました。
「だってさっきウンチゆるゆるだったよ。ポタポタ落ちたの見たし」というと、「そうだったの?」とまるで他人事。本当に記憶にないのか、忘れたフリをしてとぼけているのか微妙なところでございますが、「お腹痛くはないのね?」と念を押すと「別に痛くないよ」とのことだったのでひと安心いたしました。それを信じれば、お薬原因説が濃厚な気がいたします。
なにしろ、数分単位で記憶が無くなってしまうので確かなことが聞き出せません。深読みすれば「大丈夫だよ」が本当に大丈夫なのかも不安なところ。「昨夜ちょっと痛かった」という記憶は消えてしまいますし、最近、めっきり語彙も乏しくなっているので、どこがどんな風におかしいか表現できなくて「大丈夫」と言ってしまうこともありそうです。
その思いを強くしたのは昨日でございました。トイレから出て来てズボンを穿いていなかったので「ズボン履いておくれよ」といったらトレーナーを広げて「これ?」とおっしゃったのです。
「それはトレーナー。ズボンはどこに脱いだの?」と訊いたけれどわかりません。自分の部屋に行って「これかな」と持ってきたのはTシャツでした。お笑いのボケなら「そうそう、これにこうやって脚を入れてズボン……ってコラコラ」とノリツッコミしたいところですが、兄は真面(まとも)ボケ、笑えましぇん。
認知症とは、げに恐ろしい病気でございます。兄の言葉や行動すべてに疑心暗鬼になって「大丈夫だよ」にも100%の安心はできません。
昨日はTシャツを広げて穿こうとして「あれ?なんか違うな」と気づいてくれましたが、そのうち本当にTシャツの袖に脚を突っ込んで出てくる日がくるかもしれません。そのときは、あわてず騒がず「ヨッ、斬新なファッションだね~」と言えるくらいの心の余裕がほしいツガエでございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ