兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第101回 ミエール・ゲンカク】
週1回のデイケア通いが始まり、少しずつ慣れてきた様子の兄。しかし、また一つ気になる言動が。「兄には何かが見える!?」…。今日も心配が絶えない、妹でライターのツガエマナミコさんが近況を綴ってくれた。
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
* * *
幻覚か…
ある夜、マンションに帰ってくると1階住人のドア前に医療用のワゴンや心電図、人工呼吸器などがあって、「あれ、誰か具合悪いんだ」と思いながら、薄暗く静まり返るマンション内を2階に上がりました。すると2階にも同じような医療器具がズラリ。「え?」と思って3階、4階と登って行くと、すべてのフロアの廊下に医療機器が整列していました。怖くなってふと5階を見上げると、白い顔のナースがライトアップされてこちらを見ているではありませんか。そろりそろりと今来た階段を下り始めると、ナースが追いかけてきました。でも焦る足は思うように動きません。「もうダメだ~~~」と思って階段にうずくまり、ナースの足音が背後で止まったのを確認して、「エイッ!」と振り向いて決死の覚悟で眼を見開いたら、電気をつけたままの自室のベッドの上でした。外は台風のような暴風の夜で、窓が不気味に唸っていました。どうも、久しぶりに怖い夢を見たツガエでございます。
兄の「デイ」も3回目ともなると初期の鮮度は薄くなり、ルーティンとして定着してまいりました。
(友人とのLINEで「デイケア」のことを「デイ」と略していたのが新鮮で愛用中です)
兄も2回目までは「どこに行くの?」「何をしに行くの?」と明らかに不安げだったのに、3回目からは「遠いの?」「歩いていける?」と前向きな反応になりました。「何分ぐらい?」を20回ぐらい訊かれましたが、行きたくない感情は感じられないので、朝はずいぶん楽になりました。ひとえにセラピードッグとデイのスタッフの方々のおかげ。
でもお迎えに行った帰り道で「今日は何をしたの?」と訊くと「え~、別になにもしてない」というので、記憶がないのか、本当になにもしていないのか、計りかねております。
兄の得意技のベランダ・デ・オシッコの回数は増えていますし、コップ・ニ・オシッコも健在です。シンヤ・ニ・ダップンは第2回でストップしておりますが、先日は新たなる秘技、ミエール・ゲンカクを炸裂させておりました。
わたくしがキッチンで夕食の支度をしていると、兄が、やけに玄関の方を気にして行ったり来たりしておりました。前々から物音に敏感で、隣人のドアの開け閉めや、大工仕事のような音、トラックのアイドリング音などにイチイチ「何の音だ?」と反応しているので、そのときも何か気になる音がしているのかと思ったら、唐突に「ここは何人で住んでるの?」と訊かれました。
「2人だけど…」というと「フーン」というので、補足で「ま、集合住宅だから上下左右に人が住んでいるからね、いろんな音がするんだよ」と説明したのですが、しばらくすると今度は「あっちの部屋に、あと2人いるの?」と訊いてきました。
「今ここにいる2人だけだよ。誰か見えるの?」というと「いや…ちょっと頭おかしいから」と自虐を放り込んできました。その後も「昼間は2人で夜は4人?」とか「さっきここに2人いたよね?」とか「ここは4人で住んでいるの?」といった言動が、夕食が終わるまで続きました。
デイで見慣れない人たちと過ごしたことで、いろいろ混同しているのかもしれません。
ただ、今は亡き、認知症だった母も「小さい女の子」や「お婆さん」の話を何度かしていましたから認知症には幻覚がつきものなのだと思います。
そういえば、この日の昼間、兄のいないリビングでテレビを観ようとして、リモコンがないことに気づきました。辺りを探しても見つからず、瞬時に「兄がデイ用のカバンの中に入れちゃったのかも」と思い「まったくもう」と憤慨したのですが、帰ってきたカバンの中にもありませんでした。未だに見つかっておりません。
兄が所定の位置を無視して起き場所を変えてしまうのは日常茶飯事です。たいていわたくしが考えて見つかるような場所にはございません。凡人には予想できない「まさか、そこ?」という場所で偶然見つかるのです。きっと今もリモコンは奇想天外なところに潜んでいることと思われます。現在、テレビは本体のボタンで操作中でございます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性58才。両親と独身の兄妹が、7年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現62才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ