飲食店への休業要請が緩和されたけど、まずは、小林薫『深夜食堂』で外食のリハビリを
6月19日、接待を伴う飲食店への休業要請も緩和される。「外で食事をし、酒を酌み交わす」幸せを取り戻せるだろうか。今はまだ早めに帰宅して、続きはドラマで楽しみたい。近年人気の「グルメドラマ」の中でも、中高年にグっと訴えかけてくるのが『深夜食堂』。ドラマに詳しいライター大山くまおさんが、『深夜食堂』のこだわりを紹介しながら「グルメドラマ」の歴史を紐解いていく
→深夜の金字塔『孤独のグルメ』目の前にある料理をおいしくいただくだけなのに観てしまう理由
全世界190か国に配信された奇跡の深夜ドラマ
「人々が家路へと急ぐ頃、俺の一日は始まる。営業時間は夜12時から朝7時頃まで。人は深夜食堂って言ってるよ」
小林薫主演のドラマ『深夜食堂』(TBS系)はこんなセリフから始まる。原作は安倍夜郎の同名コミックス(小学館『ビッグコミックオリジナル』連載中)。新宿歌舞伎町近くの裏路地にある、深夜だけ営業している「めしや」を舞台に、マスター(小林薫)と一癖も二癖もある常連客たち、そして店にやってくるちょっと事情を抱えた一見の客たちの交流を描く。
メニューは豚汁定食とビール、酒、焼酎だけ(ただし酒類は1人3本まで)だが、マスターが作れるものなら何でも作ってくれる。客の注文でマスターが作る、お茶漬け、卵焼き、ハムカツ、ソース焼きそばなどの、ありふれているけど美味しそうな料理と、小さなカウンター越しに交わされる客たちの会話がドラマのほとんどを占める。キャッチフレーズは「小腹も心も満たします」。
『深夜食堂』らしく、深夜にひっそりと放送がスタートしたのは2009年。2011年に第2部、2014年に第3部が放送された後、2015年と2016年にそれぞれ映画化。2016年からはNetflixオリジナルドラマ『深夜食堂 -Tokyo Stories-』シーズン1(第4部)が全世界190か国へ配信。2019年にはシーズン2(第5部)が配信されている。日本もさることながら、中国、韓国、台湾で絶大な人気を誇り、中国と韓国でそれぞれリメイク、中国では映画も制作され、韓国ではなんとミュージカルとして上演もされた。深夜の30分ドラマが世界的な人気へと発展した稀有な例である。なお、新型コロナによってドラマの撮影が止まってしまった今年5月からはTBS系で第1部が再放送されている。
『孤独のグルメ』との違い
「食」をテーマにした深夜ドラマということで、2012年からスタートしたドラマ『孤独のグルメ』と並べて語られることが多いが、あらためて比べてみると両者はかなり異なる。
『孤独のグルメ』は実在の店を舞台に、実際にあるメニューを主人公の井之頭五郎(松重豊)が「食べる」ことに焦点をあてているバラエティ感覚が強いドラマ。一方の『深夜食堂』は架空の店が舞台で(「めしや」はすべてセット)、食事は登場するが、あくまで「人」と「エピソード」が中心。遠藤日登思プロデューサーは「ゴハンもののドラマとして、『孤独のグルメ』と比較されることが多いですが、食べ物を中心にやっているつもりはない。むしろ、落語のような人情ドラマを作っているつもりでやっています」と語る(東洋経済オンライン 2019年12月30日)。小林は「めしや」の空間全体を「ある種、ファンタジーだと思うんですよ」と表現している(TV LIFE 2017年6月7日)。
もともとは原作者の安倍夜郎がドラマ化にあたって「マスターは小林さんで」と発言したところから始まり、小林薫の事務所のスタッフが企画書を『バタアシ金魚』(90年)や『東京タワー ~オカンとボクと時々、オトン~』(07年)などで知られる映画監督の松岡錠司に見せてから企画が動き始めた。こだわりぬかれた緻密なセットは『テルマエ・ロマエ』(12年)、『散り椿』(18年)など数々の映画の美術を担当した原田満生が手がけたもの。フードスタイリストは『かもめ食堂』(06年)、『めがね』(07年)などで知られる飯島奈美が務めた。松岡、原田、飯島とも映画が主戦場であり、それぞれドラマは『深夜食堂』が初めて(松岡は90年代に『3番テーブルの客』で1話のみ演出。飯島はこの後、『ごちそうさん』や『カルテット』を担当した)。
小林は「これだけの“こだわりの才能”が集まり、彼らをはじめ他のスタッフもなぜか暴走気味に凝りだしたおかげで(笑)、この贅沢なドラマが出来上がったんです」と振り返っている(anan 2019年10月24日)。「低予算の作品としては奇跡的ですよ」とも(シネマトゥデイ 2016年10月27日)。濃密な空気が漂う映画の世界を深夜ドラマに持ち込んで成功した奇跡の作品が『深夜食堂』なのだ。
「人情」と「めし」は世界共通
『深夜食堂』が描いているのは、先に遠藤プロデューサーが語っているように「落語のような人情ドラマ」である。監督の松岡も繰り返し「人情喜劇」と表現している。どこかあっけらかんとしている安倍夜郎の原作コミックと比べると、ドラマのほうはやや湿度が高い。鈴木常吉(イカ天バンド、セメントミキサーズの元ボーカル)が歌うオープニングテーマ「思ひ出」が流れるだけで、グッと湿度の高い世界に引き込まれる感がある。それが疲れた大人の視聴者の心を癒やしてくれる。それまでは若者のものだった深夜ドラマに、大人の視聴者を連れてきたのも『深夜食堂』の功績だ。
湿度の高さは、描かれる人情の強さの表れ。松岡は「今の世の中って人情みたいなものを軽んじていないかって思うんです。少し恥ずかしいものみたいにね。でも人情がなくなってしまったら、社会は崩壊してしまう」と訴える(GYAO! 2016年11月4日)。
実はその「人情」がアジア各国で人気が出たきっかけだった。これまで、韓国や中国では日本のような「ひとり飯」「ひとり飲み」という習慣がほとんどなかったという。食事も酒も家族や仲間たちと大勢でわいわいしながらやっていた。ちょうど昭和の頃の日本のようだ。だが、時代が移り変わり、日本の都市部と同じようにアジアの各都市でもひとり暮らしの人たちが増え、ひとり飯をする機会も増えてきた。そんな中、ひとりで入っても寂しさを感じることがない、人情味あふれる『深夜食堂』が受け入れられたのではないか。それが小林の見立てである(ヒトサラMAGAZINE 2009年10月22日)。松岡は「唯一、世界共通に訴えるものは『人情』じゃないですかね」とやっぱり「人情」を推す(ぴあ関西版 WEB 2016年11月7日)。
都会の人の凍える心もとかす温かい「人情」と温かい「めし」。これは現在に続く深夜グルメドラマのある種のフォーマットでもある。奇跡のドラマ『深夜食堂』が果たした役割は非常に大きいし、きっと今後も色褪せることはない。
『深夜食堂』は配信サービス「Netflix」などで視聴可能(有料)
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。