深夜の金字塔『孤独のグルメ』目の前にある料理をおいしくいただくだけなのに観てしまう理由
コロナ禍の中、「外で食事をする」ことがなんとまぶしく、魅力的に見えることか。6月11日、「東京アラート」が解除され、少しずつ日常が戻ってくる気配がある。まだまだ気は抜けないけれど、ドラマで気持ちを高めておくのは自由。近年人気なのが「グルメドラマ。 「野木亜紀子作品考察」に取り組んできたドラマに詳しいライター大山くまおさんが、今度は「グルメドラマ」の歴史を紐解いていく。まずは、ブームの先駆けとなった『孤独のグルメ』。ひとりで黙々と食事をする主人公は、ソーシャルディスタンスも先取りしている!
料理をおいしくいただく「グルメドラマ」の先駆け
『孤独のグルメ』(テレビ東京系)は、日本のドラマにおいて2つの意味で画期的な作品である。
久住昌之原作、谷口ジロー作画の同名コミックをドラマ化した本作は、松重豊演じる主人公の井之頭五郎が、実在する店をひとりで訪れて、思うがままに食事を楽しむという極めてシンプルな作品。2012年にスタート以降、じわじわと人気が出て、昨年秋には日本のドラマでは極めて珍しいシーズン8にまで到達する大ヒット作品となった。
では、何が画期的だったのか。まず一つ目は、現在に連なる「グルメドラマ」の先駆だったということ。
現在は1クールに数本あってもおかしくないグルメドラマだが、『孤独のグルメ』が放送された2012年を振り返ってみると、同年10月から放送された『孤独のグルメ』シーズン2と同じ久住昌之原作の『花のズボラ飯』(TBS系)以外1本もないことに驚かされる。あとは江戸時代の料理人をテーマにしたスペシャルドラマ『みをつくし料理帖』(テレビ朝日系)ぐらいだ。
『孤独のグルメ』のヒットにより、多種多様なグルメドラマが誕生した。武田梨奈主演の『ワカコ酒』(15年・BSジャパン)はシーズン5まで放送された人気作になったし、早見あかる主演の『ラーメン大好き小泉さん』(15年・フジテレビ系)や高畑充希主演の『忘却のサチコ』(18年・テレビ東京系)はスペシャルドラマが制作された。酒、ラーメン、スウィーツ、夜食、キャンプごはんなど、あるジャンルに特化した作品も多い。
オファーを受けた松重豊の反応
では、そもそもグルメドラマの定義とは何か。たとえば、料理や料理人をテーマにしたドラマは『孤独のグルメ』以前も数多くあった。中居正広主演の『味いちもんめ』(95年・テレビ朝日系)はシリーズ化された人気作だったし、佐藤健主演の『天皇の料理番』(15年・TBS系)は80年に放送された堺正章主演ドラマのリメイクだ。フランス料理店が舞台の名作『王様のレストラン』(95年・フジテレビ系)もある。グルメマンガの金字塔『美味しんぼ』も2回にわたってドラマ化されていた。朝ドラを紐解いても、料理や料理人をテーマにしたドラマは枚挙にいとまがない。近年の料理人ドラマのヒット作といえば木村拓哉主演の『グランメゾン東京』(19年)だろう。
ただ、これらのドラマはいずれも料理を扱いながらも、主に描かれているのは主人公の成長や登場人物の人間関係にまつわるストーリーである。料理が大きな役割を果たすこともあるが、やはり人間ドラマが主であり、料理は従だ。
一方、『孤独のグルメ』以降のグルメドラマは、料理を作る過程などが描かれることはあっても、ドラマの中心に置かれているのはあくまで料理そのものであり、それを食べる人物である。料理はけっして高級である必要ではなく、料理にまつわるうんちくも必要とされていないのも特徴で、とにかく目の前にある料理をおいしくいただくことに主眼が置かれている。
その嚆矢(こうし)だったのが『孤独のグルメ』だったのは間違いない。松重豊はオファーを受けたときの感想を、「原作も単なるオッサンが食べてるだけで、別に何か物語があるわけでもないし、事件が起こるわけでもないんで……」「はたして、視聴者っていうお客さんがつくかどうか本当に分からないし、たぶん、僕の中でも、プロフィールの汚点になるだろうなって思って(いた)」と語っていたが(日刊大衆 2017年4月12日)、これはドラマ『孤独のグルメ』の企画がいかに斬新だったかを示している。
ちなみに原作者の久住昌之は「グルメ」という言葉をあまり好んでいないので、きっと「グルメドラマ」というカテゴリもあまり好きではないと思う。
深夜ドラマにオッサンたちを引き込んだ
2つ目の画期的だった点は、まさに松重豊が語るところの「オッサン」の部分。40代以上の男性、女性がゆったりと観ることができる深夜ドラマの新しい可能性を切り開いたことにある。
日本の深夜ドラマは放送が深夜まで延伸された1980年代半ばから始まっているが、基本的には若者向けのドラマがほとんどであり、恋愛ドラマやコミック原作のドラマ、あるいは過激な設定のサスペンスドラマが多かった。
09年に小林薫主演の人情グルメドラマ『深夜食堂』(MBS)がスタートして大ヒットするが、その後もそれほど傾向が変わることはなく、『マジすか学園』(10年・テレビ東京系)などのアイドルドラマ、『モテキ』(10年・テレビ東京系)などの恋愛ドラマ、『勇者ヨシヒコと魔王の城』(11年・テレビ東京系)などのトリッキーなドラマが人気を博していた。
しかし、『孤独のグルメ』が大ヒットすると、同じグルメドラマで佐藤二朗主演の『めしばな刑事タチバナ』(13年・テレビ東京系)、同じ久住昌之原作で戸次重幸主演の『昼のセント酒』(16年・テレビ東京系)、日本を代表する脇役陣が顔を揃えた『バイプレイヤーズ〜もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら〜』(17年・テレビ東京系)など、中年男性俳優が主演するドラマが制作されるようになっていく。
つまり、「深夜ドラマは若者のためのもの」という固定概念を取り払ったのが『孤独のグルメ』であり、その延長線上に『きのう何食べた?』(19年・テレビ東京系)や『コタキ兄弟と四苦八苦』(20年・テレビ東京系)などの傑作深夜ドラマが誕生したと考えることができる。
→深夜の傑作『コタキ兄弟と四苦八苦』は心の離れた家族が、疑似家族として再生する奇跡のドラマ
深夜ドラマというドラマの世界での傍流の中で、ひっそりと始まった作品が大輪の花を咲かせて、多くのフォロワーを生み出した。『孤独のグルメ』は、間違いなく日本のドラマの歴史にその名を刻んだ作品であると言える。
『孤独のグルメ』は配信サービス「Paravi」で視聴可能(有料)
文/大山くまお(おおやま・くまお)
ライター。「QJWeb」などでドラマ評を執筆。『名言力 人生を変えるためのすごい言葉』(SB新書)、『野原ひろしの名言』(双葉社)など著書多数。名古屋出身の中日ドラゴンズファン。「文春野球ペナントレース」の中日ドラゴンズ監督を務める。
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