ALSの妻を自宅介護の夫、ストレスで外をさまよった4時間
都内の自宅でヘルパーの手を借りながら、筋萎縮性側索硬化症(以下ALS)患者の妻、希実枝さん(59才、仮名)を在宅介護している貿易会社経営、山本真さん(61才、仮名)は、「進行性の病気だけに、毎日何が起こるのか予想がつかない」と話す。前回に続いて、4年目に入った山本さんの在宅介護から見えてきたさまざまな問題をお届けする。
→前回を読む:突然ALS発症の妻、家族の負担が増える人工呼吸器の選択とは
目の動きで意思の疎通を図る文字盤
1LDKの山本さん宅には、常に人工呼吸器のスーッス―ッという音が響いている。リビングに置かれたベッドで希実枝さんは、ほぼ一日を過ごす。天気が良ければ車椅子で散歩もするが、冬の時期は、風邪をひいたことが引き金になって重篤な病気にもなりかねないため、室内で友人たちが読んでくれた朗読の録音を聞いて過ごす日々が続く。小説やエッセイ、ドキュメンタリーなど、月に10冊以上も聞く意欲を持ち続けている。
2015年に発症してから1年余は、車椅子で通勤しながら編集者の仕事をこなしていた希実枝さん。しかし、翌年の夏に気管切開して人工呼吸器を装着してからは、ベッドにいる時間が増えた。足から始まった運動障害は、手にも進んだ。
指先が動く間は、パソコンのキーボードを押してメールでやりとりしていた。それが押せなくなってからは、薄い風船のようなスイッチを使って文章を作成。パソコンで音声に変換させて発生させてヘルパーや見舞客とコミュニケーションをとっていた。
指先も動かなくなってからは、視線入力装置を使いオリヒメというソフトを動かしてメールを書いた。オリヒメに接続した分身ロボットに発声させて会話をしていた。
今では、自分の意思でコントロールできる筋肉がほとんど動かなくなってしまったので、希実枝さんが、わずかに動く目で文字盤を追い、真さんやヘルパーが希実枝さんの目の動きを読み取って意思の疎通を図っている。
人工呼吸器をつけて深夜に緊急搬送
人工呼吸器をつけてからは、さらに生活が一変した。「人工呼吸器をつけた患者さんを在宅介護するには24時間の見守りが必要です」という医師の言葉通り、痰の吸引等、しなければいけないことが増えた。
呼吸器を装着して退院後初めて自宅に帰ったときには、真さん一人で気管カニューレをうまく扱うことができず、希実枝さんは呼吸困難になり、深夜に病院に緊急搬送された。それからずっと困難だらけの日々が続いていた。
また人工呼吸器と同時に胃ろうも行ったため、食事や水分はつながれたチューブで摂る。医師が処方する経管栄養剤だけだと腹痛を起こしてしまうので、希実枝さんが好きなエスニックのスープに仕立てるなど工夫している。
「そのスープの分量やレシピ、次は誰がいつ、どう調理するのか…など、私が考えなければいけないことがたくさんあって、毎日本当に大変なのです」
「うちの会社の運が落ちる」と言われて
真さんは世界17か国でホビー関連ツールの輸出入を手掛けていたが、介護が優先されるため、思うように仕事ができなくなった。そこで取引先に出向いて、希実枝さんの病状を話し「今後はすぐにはできない仕事も出てくるかもしれない」と断りを入れた。
「事情を分かってくれる会社もありました。ところがある老舗の年配の社長は“奥さんが難病にかかっていることで、うちの会社の運が落ちるかもしれない”と、取引を断ってきました。悔しかったですね、こういうことがあると、ショックを受けますね」
理不尽な世間の偏見に言いようのない寂しい思いがした。