兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【12回 たびたび起こる出社拒否】
若年性認知症を患う兄と2人暮らしのライターツガエマナミコさんが、どのように兄と向き合い、どう暮らしているかを綴る連載エッセイ。病気になってからも同じ企業で働き続ける兄だが、いろいろと問題は起こるようで…
「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。
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ついにクビ?それとも、妄想?
兄がアルツハイマー型認知症と診断されたのは、平成28年の初夏でした。それ以来、2か月に1回は通院に付き添い、その足で兄を会社まで送り届け、会社の方に兄の仕事ぶり(ポンコツぶり)を聞くというルーティンが続いています。
会社での兄は「釣り銭の計算はできるけれど、パソコンは何度言っても覚えない」「接客は好きみたいだけれど、聞いたことは忘れてしまう」「ぼうっとしていることが多い」「商品を移動させて、どこに置いたか忘れてしまう」「何か頼もうとするとトイレに行ってしまう」「覇気がない」「笑顔がない」「やってもらえる仕事がない」とまぁ、想像はついていましたが、我が兄ながらトホホなあり様でございました。
それでも初期の頃は、わたくしが「ご迷惑ではないでしょうか?」と言うと「それはないですよ。みんなでフォローしていますし。妹さんのためにも頑張るようにハッパかけてますから、妹さんも頑張って」と、涙がチョチョギレるほどやさしいお言葉をくださったのです。
そんなに理解ある会社なのに、病気が分かってから兄はちょくちょく無断欠勤をしました。1週間ぐらい平気で休んでしまうのです。具合でも悪いのかと思って気にしていると、テレビを見てゲラゲラ笑っているではありませんか。ムカッ!
わたくしは怒りを抑えつつ「ねぇねぇなんで会社に行かないの? 何かあったの?」と言いながらテレビを静かに消し、やんわり差し向かいに座りました。兄は突然小さくなり、長~い沈黙をし、天井を見たり、床を眺めたりしてうーんうーん唸った末に「会社にね、新しい人が入ってきたんだよ」と言い、それきりまたなっが~い沈黙をしました。
やっと重い口を開くも、わたくしの聞きたい核心部分のはるか周りをモニョモニョ話す兄。ジリジリしながら結論を待ちに待った結果「もう来なくていいってことみたいだから、ウン、モゴニョモゴニョ…」と語尾を濁す必殺技を繰り出してきたので、わたくしは「“明日から来なくていい”とか“クビ”とか言われたの?」というイエスorノークイズをおみまいしてやりました。
「そうじゃないけど、そういうことだと思う」と言う兄に、わたくしは内心“社長様がそんなことを言うはずがない”と思い、すかさず社長様に電話をしました。
「こんな変なことを兄は言うんです」と、まるで小4女子の告げ口スタイルで事情を説明すると、社長様は「そんな新人はいない。とにかく出てこい」とおっしゃってくださり、兄は翌日から出社いたしました。
病気を追い目に感じているからこその妄想だと思うのですが、病院に通い始めて1年半ぐらいの間に類似の出社拒否が3~4回ありました。一度は兄の煮え切らない態度についムカついて「もう会社には行きたくないってことね?」と口走ってしまい、売り言葉に買い言葉のように「そうだね。もう行きたくない!」と兄に言わせてしまったこともありました。
欠勤するたびに社長さんになだめてもらった御恩はわたくし一生忘れません。
ただ、いつ「やめてくれ」と言われても仕方がない状態ですし、原則定年がないとはいえ、兄が60歳を迎える平成30年は最高に危ないと思いました。
「そろそろ本気でマンションの買い替えに動きださねば」と思い立ち、駅前にあるCMでおなじみの不動産屋にフラッと立ち寄ったのは、そんな平成29年の秋でした。ちょっと聞くだけのつもりでしたが、やはりあちらは商売。絶好の「鴨ネギ」になったのは言うまでもありません。
つづく…(次回は10月31日公開予定)
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現60才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
第1回 これからどこへ引っ越すの?
第2回 安室ちゃんは何歳なの?
第3回 この光景見たことある
第4回 疑惑から確信へ
第5回 今日は会社休み?
第6回 今年は何年ですか?
第7回 アパート借りっぱなし事件
第8回 アパートはゴミ屋敷
第9話 全部処分していい
第10回 で、どうすりゃいいの?
第11回「奥さん」じゃないんですけど…
第12回 たびたび起こる出社拒否