102歳の現役浪曲曲師・玉川祐子さんが語る波乱万丈な人生 2人の息子の夭折、暴力の末の離婚、そして“道ならぬ恋”での修羅場「稽古場まで奥さんがきて彼を連れて帰ろうとした」
現役最高齢の浪曲曲師・玉川祐子さん(102歳)。小柄な体で三味線を構えると、100歳を超えてなお見事なばち捌きと張りのある掛け声を響かせる。そんな祐子さんが、恋多き波乱万丈な人生を振り返った。【全3回の第2回】
16歳年上の兄弟子から「一緒になってくれないなら、お前を殺して俺も死ぬ」
――17歳で浪曲師の鈴木照子さんに弟子入りし、そこで兄弟子の2人から好意を寄せられたそうですね。
祐子さん:私は鈴木師匠の初めての女の弟子だったの。師匠に優しくしてもらえたので、目の敵にされたりしてね。馬鹿にされたり、髪を引っ張られたり、悔しい思いをたくさんしました。だけど、その2人は違ったね。
そのうちの1人から浅草寺で告白されたのだけど、「一緒になってくれないなら、お前を殺して俺も死ぬ」って過激なことを言われて、殺されたくないから結婚しました(笑い)。私が22歳で、相手は38歳。私が曲師で相手は浪曲師だから、戦時中だったけど相三味線を務めて地方巡業をよくしました。だけど、彼は気性が荒くてね。棒で殴られることもよくありました。
新橋で東京大空襲にあって、三味線は命だからこれだけ持って逃げました。夜中にサイレンが鳴り響いて、焼夷弾がたくさん降ってきてね、本当に恐ろしかった。翌日、浅草に行ったら遺体がたくさん並んでいました。それでも、なんとか生き延びたから、夫婦で埼玉県深谷市に疎開しました。
がんになった子供に「泣かないで」と励まされ……
――そこでは4人の子宝に恵まれて、子育てをしながら曲師も続けていた。
祐子さん:(涙ぐみながら)3番目の子ががんで7歳で亡くなったの。これはつらかった……。この子は3歳のとき、私が三味線を弾いたら歌い出したんですよ。それを聞いていた人から、日比谷公会堂に出てほしい、って頼まれて。本人も舞台に出たいって言うから、流行っていた『ダイアナ』(ポール・アンカ)とか『リンゴ村から』(三橋美智也)とかを歌ったりして人気者になり、サインをせがまれるようになりました。
だけど、小児がんになってしまって、医者には「1年か2年」と余命宣告をされたの。泣いたな……。そしたら息子がね、「お母さん泣かないで。大丈夫だよ、ぼく元気になって一生懸命歌うから、泣かないで」言ってね。余計泣いてしまった。つらかった。
次男も赤痢で3歳で亡くなってね。子供は親より後に残るものでしょ。それを先に逝かれたんだから、これほどつらいことはないよ。だけどね、これも私の人生だから。
――終戦後、埼玉から東京に戻ることで曲師の仕事が増えることを、浪曲師を辞めていた夫がいい顔をしなかった。
祐子さん:それも離婚の原因です。あの人は暴力もひどかったけど、「三味線を続けるなら出て行け!」と言うので、4畳半のアパートで別居生活を始めました。曲師は少ないからね、よく呼ばれて頻繁に浅草にある浪曲の定席・木馬亭に通うようになった頃に出会ったのが、後に再婚する浪曲師の玉川桃太郎。
出会ったときは彼に奥さんがいたから、深い仲になっちゃいけないって思っていたの。でもね、あの人はとっても優しかった。恋してはいけない人に恋してしまったね(笑い)。
生まれ変わっても三味線を弾き続けたい
――1人暮らしの部屋に、桃太郎さんが宿泊するようになるんですよね。いわゆるダブル不倫状態。
祐子さん:俺と一緒になってくれ、と言われてね。嬉しい言葉だったけど、悩みましたよ。桃太郎の奥さんが稽古場まで顔を出して、桃太郎を連れて帰ろうとするの。私は人を泣かしたくない、これ以上深入りはしたくないと思ったんだけど。
ある日、桃太郎の息子が来てね、「おばさん、おふくろはあきらめたらしいから、親父をよろしくお願いします」って言われて、桃太郎の荷物が部屋に送られてきた。私も子供たちに相談したんだけど、娘に「いままで苦労してきたんだから、好きなように生きて」と言われました。褒められた恋愛じゃなかったけど、私はこの人と一緒になれて幸せでした。好きな人の三味線を弾けるんだから、そりゃあそうだよね。
――1975年に再婚。祐子さんは53歳、桃太郎さん52歳でした。
祐子さん:桃太郎が2015年に亡くなるまでの約40年、夫婦として、そして浪曲のパートナーとして過ごした時間はとても幸せでした。彼は浪曲師としてもうまくて声がよかった。性格は穏やかで優しい。入院して数日後、慢性腎不全急性憎悪で亡くなりましたが、最期も静かに息を引き取りました。彼が病院から帰ってきた日だけは、遺体にすがって泣きましたが、彼と同じ墓に入ると思うと死ぬのは怖くありません。
――現在は孫ほど年の離れた、弟子で浪曲師の港家小そめさんとコンビを組んでいる。
祐子さん:小そめちゃんはとても可愛くていい子。素晴らしい声をしているのよ。この子に出会えて本当に幸せ、実の娘だと思っています。私の宝です。できたら小そめちゃんが生きてるうちに私は死んで、すぐに生まれ変わって、「小そめ師匠の三味線を弾かせてください」って言いに行きたいですね。
◆曲師・玉川祐子
たまがわ・ゆうこ/1922年(大正11年)10月1日、茨城県生まれ。昭和15年(1940年)、17歳で浪曲師・鈴木照子に入門。初舞台は昭和16年(1941年)、三ノ輪の三友亭。翌年、曲師に転向して高野りよの名で活動。昭和50年(1975年)に浪曲師・玉川桃太郎と再婚し「玉川祐子」に改名。著書に『100歳で現役!女性曲師の波瀾万丈人生』(光文社)がある。
撮影/小山志麻 取材・文/小山内麗香