志穂美悦子さん、シャンソン歌手への挑戦「孫もいる今、ようやく自分が好きなことを追求できる」「メイクも衣装も他人任せにしない」生き方
志穂美悦子さんは、40代はフラワーアーティスト(花創作家)として活躍し、2024年6月からは新たにシャンソン歌手としての人生を歩み始めた。2024年11月に開催された日本シャンソンコンクールに初出場し、見事「優秀賞」を受賞。なぜシャンソンに魅せられるのか、その熱い想いを聞いた。
志穂美悦子さんプロフィール
しほみ・えつこ。1955年岡山県生まれ。1973年アクション俳優としてデビューし、主演作『二代目はクリスチャン』などで活躍。2024年6月、シャンソン歌手・鬼無里まりとしてデビュー。
誰にだって可能性はある!
「生きているうちに自分の中にある可能性をすべて出し尽くしたいと思っているんです。誰にだって自分ではまだ気づいていない可能性や才能を秘めていると思います」
こう力強く語る志穂美さん。
花創作家としての活動も、シャンソン歌手としての新たな挑戦も、「最初から仕事にしようと考えていたわけではなく、昔からずっと好きだったことの延長線。人とのご縁や出会いが大きいと思います」
衣装もメイクも他人任せにしない
志穂美さんは、衣装や小物のスタイリングをすべて自分で行っている。
「お花の創作では、花はもちろん流木なども取り入れながら自由に組み合わせて作品を創り上げていく面白さがあります。
衣装のスタイリングも同じ。季節やその時の自分の気分に合わせて洋服や小物を選ぶのもすごくワクワクしますよ。こんなに面白いことを他人に任せておくのはもったいない!
毎日着る洋服を選ぶこともクリエイティブな作業、服のコーディネートを考えるのも楽しいですよ。シャンソンのドレスももちろん全部考えます」
シャンソン歌手・鬼無里まりの誕生
2024年6月からは、シャンソン歌手・鬼無里(きなさ)まりとして、本格的に活動をスタートした。
「シャンソンは、日本語の訳詞の素晴らしさに惚れ込んでいます。
『幸せな愛などない』という大好きな曲がありますが、これはフランスがドイツ・ナチスに占領されている頃、表現の自由を制限される中で作られたもの。
『愛し合っても戦争によって別れが訪れる、幸せな愛などない』と、その否定的な表現は純文学にも通じるものがあります。
シャンソンは花の都・パリの華やかな印象がありますが、私の心を強く揺さぶるのは『愛の賛歌』のような希望に満ちた歌ではなく、苦境の中で生み出された歌に魂が呼応するんです。
革命を起こすパワーや心の叫び、当時フランスに生きた人々の熱い想いや言葉が、私を滾(たぎ)らせるんです」
故郷の岡山では、元軍人の厳格な父親が中心にいる家庭で育った。
「東京で俳優になるために上京することは、当時の考えでは、まるで月に行くような遠い世界への旅路でした。あれから50年、妻や母もやって、孫もできたいま、ようやく自分が好きなことを追求できる。もう楽しみでしかないですよ」
撮影/小倉雄一郎 取材・文/熊谷あづさ
※女性セブンムック『人生100年時代、もっとワクワク暮らすために「やめる」「始める」100のヒント』より