兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第254回 兄の救急搬送とその後】
認知症の兄が入所できる施設が決まるまでの間は、ショートステイを活用中のツガエ家。そのショートステイを過去最長の7泊8日利用した最終日の朝のことです。兄がトイレで倒れ、救急搬送されたと連絡が入りました。慌てて病院に向かった妹のツガエマナミコさん。CTやMRIで脳の検査を行いましたが、幸い、脳に大きな異常はないということで、その日のうちに帰宅できることになりました。しかし、そこで、マナミコさんにまた大きな試練が訪れたのです。
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歩けない・・・、そして寝返りも打てない兄
兄がショートステイの最終日の朝に痙攣をおこして救急搬送された知らせを聞き、わたくしが8時半ごろに病院に到着してからCTやMRI検査が終了したのは午後2時少し前のことでした。
「大きな問題はない」とのことで無事に帰宅することになったのですが、さて、実際に帰るとなるといろいろ足りないのでございます。着ていたパジャマはお尿さまでビショビショに濡れビニール袋に入っていますし、羽織る物もなければ、肝心な靴がございません。ショートステイ施設の方は「荷物はご自宅にお届けしますので落ち着いたらお電話ください」と言い残して午前中にお帰りになってしまいました。病院の寝巻は後日返却することを前提にそのまま着て帰ってもいいということだったので、最悪は売店でスリッパを買って、タクシーで帰るか…と思っておりました。が、一縷の望みをかけてショートステイにお電話をいたしました。
「靴がないので荷物を病院に持ってきていただくことはできませんか?」と。すると「そうですよね。靴がないと帰れないですよね」とおっしゃり来て下さることになりました。まさに神対応でございます。
しかし、ここでまた一つ問題がありました。
兄が歩けないのでございます。ベッドに同じ体勢で寝ていたこともありますが、画像検査のため、動かないように鎮静剤を点滴投与されていたのでございます。意識はありますが、何を言っても要領を得ず、ベッドから車イスへの移動も看護師さん3人がかりでやっと。これはタクシーで帰ったとしても、マンションの入り口から部屋までたどり着けないと思い、神に祈る気持ちでショートステイ施設の方に、「車で家まで送っていただけませんか?」と無茶ぶりをいたしました。するとお時間を気にされながらも、兄の様子を見て仕方ないと覚悟してくださり、時間のかかる会計を待ち、家まで送ってくださいました。その上、マンションの部屋、そして兄の布団までほぼ抱えるように兄を介助して歩いてくださいました。
施設の方が男性で、お優しい方で本当に助かりました。「この御恩は一生忘れません」というセリフはこういう時のためにあるのだと思います。
家に着いたのは午後3時半頃。その後、兄は独り言を言いながらウトウト。わたくしはショートステイの荷物を出して洗濯機を回し、朝やりかけの掃除機をかけ、午前中にやるはずだったお仕事の連絡などをいたしました。兄は夕食時にも起き上がる気がないようだったので寝たままでも食べられるように小さく切ったバナナと、吸い飲みで水を飲んでもらいました。バナナほぼ1本とお水を400~500ml飲んでくれたので、わたくしもひと安心して一旦寝ましたが、深夜3時ごろに兄の様子を見に行き、熱を測ると37.5度でした。
その日はデイケアの日でしたが、発熱ではお休みです。新たな問題は、帰宅して横になってからずっと同じ体勢で寝返りを打っていないこと。心配になり、動かそうとすると「痛い痛い!」「やめてやめて」を繰り返すので寝返りもできず、とうとう朝を迎えてしまいました。
ケアマネさまに現状をショートメールすると、10時半ごろ来訪してくださり、今後の方針をご相談いたしました。そしてお尿さまはたくさん出ているのにオムツ交換ができないことを申し上げると「手伝います」とおっしゃってくださり、ケアマネさまと二人で汗だくになりながら交換。兄の「痛いよ!なにするんだよ!もうやめてくれ!」などの言葉にひるまずに頑張っていただきました。
寝たきりのオムツ交換は、今は亡き母の介護で経験しておりますが、寝返りを痛がる兄を動かすのは、一人ではとても無理でしたので、ケアマネさまのご協力に心から感謝いたしました。
兄の熱は37度前後を行ったり来たりしていて、ご飯もほんの少ししか食べずうつらうつら寝たまま。大好きなあんぱんもそれほど食べない1日を過ごしました。
そして兄の救急搬送から2日後の今日は、折しも特別養護老人ホームの面談の日。わたくしは延期した方がいいのでは?と考えていましたが、ケアマネさまは「この状態を見てもらった方がいいです」とおっしゃり、ただいま午後2時のご来訪をお待ちしているところでございます。そのご報告は次回にいたしましょう。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ