洪水に襲われた特養「クレールエステート悠楽」奇跡の避難【前編】
人知の及ばない、災害。いざその時に直面したら、介護の現場ではどう対処すればよいのだろうか…。
『平成30年7月豪雨』による大きな被害を経験した岡山県倉敷市の真備町。町内を流れる小田川が決壊し、近隣は数メートルの高さまで水に浸かった。容赦を知らない自然災害は、町内の特別養護老人ホーム『クレールエステート悠楽』をものみ込んだ。入居者のほとんどは車椅子での移動だ。自分の足で逃げることができる人はいない。絶体絶命と思われたが、スタッフたちのファインプレーが奇跡を呼んだ。
現地を訪れ当時の避難の状況などを取材、その一部始終をレポートする。
高齢者施設をも襲った豪雨
2018年夏、日本列島を想定外の豪雨が襲った。6月の下旬から降り始めた雨は、7月8日までに四国地方で1800ミリ、東海地方で1200ミリを記録。九州北部、四国、中国地方など多くの観測地点で24時間の降水量が観測史上第1位となった。
豪雨は西日本を中心に洪水や土砂崩れなど、甚大な傷跡を残した。
気象庁はこの災害を『平成30年7月豪雨』と名付けた。
特に被害の大きかったのは岡山県の倉敷市真備町だ。町内を横切る一級河川・小田川の堤防が数十メートルにわたって決壊し、溢れた濁流が町をのみ込んだ。被害者は51人にものぼった。
濁流は高齢者施設にも容赦なく押し寄せた。当時の様子を知るため、被害に遭った特別養護老人ホーム『クレールエステート悠楽』を訪ねた。
同施設はJRの倉敷駅から車で40分ほどの場所にある。道中、一級河川の高梁川と支流の小田川を渡る。真備町を襲った濁流はこの2つの川の氾濫が原因だ。
タクシーを停めてもらい、橋から流れを眺めた。半年前のことを忘れたように静かな川面だった。
初老の運転手さんも車を降りてき、ため息をついてこんな話を聞かせてくれた。
「水が溢れた原因の一つは川岸に茂った雑木だっていわれてましてね。洪水の前は川の浅瀬に雑木が森みたいに茂っとったんですよ。流れをじゃまするから危ないって、ずっと問題視されとった。だけど自治体はなんにもしなかった。それで去年の洪水でしょ。水が引いたあと、慌てて刈り取って、今はこのとおりだ」
なるほど、川面は見晴らしよく整備されている。
「責任を追及されそうなことの後始末は早いのに、市民の生活についちゃまだまだでねぇ。仮設住宅で暮らしている人たちは大変だ」
タクシーに乗り込み、エンジンを始動した運転手さんが、
「お客さんこれから行く老人ホームは取材かい?」
そうですと答えると、
「あそこも大変だったんだよ。でも、ほんとに奇跡みたいな話だ」
運転手さんは思い出すようにつぶやいた。
小田川を過ぎると、ほどなく特別養護老人ホーム・クレールエステート悠楽に到着した。
「晴れの国おかやま」で起きた洪水
田園風景の中に住宅地が点在する一角に施設はあった。南に小田川、西に末正川。農業用の用水路も縦横に走っている。半年前にはこれらの水が地域を襲った。
災害当時、同施設には入居者が29名、その他ショートステイの利用者が7名いた。8割の方が車椅子での生活だ。施設の建物は天井まで水が達したのだが、間一髪で避難は成功。お年寄りはかすり傷一つ負わなかった。
お話を聞かせてくれたのは施設長の岸本祥一氏だ。
「こちらの施設は平成26年竣工ですので、比較的新しい建物です。作りも鉄筋コンクリートなので、少々の地震ではびくともしない。ただ、洪水被害のことは正直いって頭の中にはありませんでした」(以下、「」内岸本氏)
岡山県のキャッチフレーズは『晴れの国おかやま』だ。県の公式ホームページでは理由を
【その1】晴れの日が多い。
【その2】温暖な気候。災害が少ない。
としている。
「3年ほど前に洪水時のハザードマップが配布されたのですが、ここらあたりも数メートルの浸水の危険があることが示されていました。まさか、という気持ちで、現実味を感じることはできませんでした」
ところが現実は岸本氏の想像を超えていた。
2018年7月6日。前日から降り始めた雨は次第に強くなっていた。岸本氏も施設の窓から外を見て「よく降るなぁ」と感じていたという。ただ、6日の午前中まではさほど気にすることはなかった。
一応、テレビやインターネットなどで情報を収集しながら時間を過ごしていた。
午後になっても雨はやむ気配はなく、強さを増していった。この頃から、各地で『大雨特別警報』という言葉が各報道機関から聞こえ始め、「ひょっとしたら」という胸騒ぎを感じるようになった。
「午後の3時くらいに、もし万が一避難勧告が出たら、ここから車で数分の場所にあるシルバーセンター後楽(同法人運営)に避難者の受け入れをしてくれるように要請しました。この施設はちょっとした高台にあり、浸水の心配はありません。でも正直いって、この時は本当に避難することになるなんて思っていませんでした」
午後4時30分。施設の連絡網を使って避難勧告が出た際の緊急招集の可能性について伝達を行った。
日本列島を西からせり上がるように北上する大雨。本番はこれからだ。激しい雨のため、大河川の高梁川の水位がジリジリと上がり、流れの勢いも徐々に強くなっていた。
クレールエステート悠楽のすぐ南を流れる小田川は真備町の南西で高梁川と合流する。平時であれば2つの流れは互いに道を譲り合うように合わさるのだが、豪雨のため大河川の高梁川の流れが激しくなりすぎた。あまりにも強い流れは壁となり、小田川の流れをはね返す。いわゆる“バックウォーター現象”が起こっていたのだった。
日が暮れ、街灯の少ない施設周りは真っ暗だ。川の様子を確かめる術は少ない。
「実際何が起こっているのか、全くわかっていませんでした」
──ただ、胸騒ぎだけは静まらなかった。
車椅子が必要な36名の入居者全員を無事に避難させるには…
当時、クレールエステート悠楽にいた利用者36名は日常的に車椅子が必要な方々だ。もし別の施設に避難させることになった場合、1人ひとりを車椅子ごと載せることができる福祉車両が必要となってくる。
避難先として考えている同系列の施設、シルバーセンター後楽にも応援を依頼し、合計7台の福祉車両を用意した。全て車椅子に乗ったままでの乗車が可能だ。
「普段は歩けるご利用者でも、大雨の中ですから何が起こるかわかりません。移動するのであれば全員を車椅子のまま運ぶことにする。そうした避難の方針を少しずつ固め始めました」
夜になっても雨脚はいっこうに弱まらない。19時を過ぎた頃に岡山県や広島県の全域に大雨特別警報が発表された。いよいよ危機がせまってきた。
「当時この施設にあった福祉車両は7台。そのうち、1台だけ車椅子を2台載せることができる車両でした。つまりいっきに運べる人数は8名です。運転手1人、付き添いに1人、ご利用者を効率よく載せるために、こちらで積み込む人員。避難先で降ろす人員。そう考えていくとかなりの人手が必要です」
頭の中で具体的な計算はできても、気持ちのほうは「それでも本当に避難することはないだろう」…。まだこの時点でも危機はどこか他人事だったという。なにせここは『晴れの国おかやま』なのだから──
ところが見えないところで臨界点は迫っていた。7月6日の22時ちょうど、岡山県倉敷市真備町の全域に『避難勧告』が発令されたのだった。
「心のそこから“まさか”と思いました。でも気がつくと、シフトの入っていないスタッフたちもいつの間にか集まってくれていました。22時45分、車椅子ごと載せることができる福祉車両7台を使って、ピストン移動が始まりました」
大粒の叩きつけるような雨が降っているが、幸い施設の入り口は広い屋根が突き出すようなデザインになっている。ここに車を停め、リヤハッチ(自動車の車両後方に設置された開閉部)を跳ね上げる。スロープを下ろし、車椅子を乗り込ませ、固定する。
屋根があるとはいえ横なぐりの雨が容赦なくスタッフと利用者をうちつけた。
「避難先のシルバーセンター後楽は、入居者100人の比較的大きな施設です。でも36人分の居室は空いていません。ただ、幸いにもそれだけの人たちを収容できるホールがあり、まずはそこを仮の宿としました。毛布や布団、マットレスの生活用具も車両に積み込みます」
避難先でも受け入れ体制が整えられ、運ばれてきた利用者を車椅子のまま室内に運び込む。
「避難先までは車で数分です。避難開始から1時間ほどで、36名全員を向こうに送り届けることができました。人数分の寝具などもなんとか用意することができ、やっと一安心できました」
町全域に避難勧告が出され、お年寄りを安全な場所まで避難させた。どう考えてもクレールエステート悠楽は危機のど真ん中にある。ところが、それでもなお施設長の心の中では「まぁ、これ以上のことにはならないだろう」との思いがあったのだという。
同施設の機能訓練などに使われる部屋は東南の2面が、床から天井まで大きな一枚ガラスとなっている。
「日付が変わった頃でしたか…、ガラス窓の向こうを見ると、20センチくらいの水位でチャプチャプ波うつみたいになっていたんです。これは普通じゃないって…、始めて背筋がゾッとしました。やがて施設内に浸水してきて、ゴミ箱なんかがプカプカ浮くような状態になってきたのです」
利用者の避難が完了したのちに帰宅したスタッフもいたが、十数名が残ってくれていた。浸水はどんどん激しくなっていく。事ここに及んでついに施設長の危機ランプの点滅が始まったのだった。本当の奇跡はここからだ。
【データ】
社会福祉法人 幸風会
『特別養護老人ホーム クレールエステート悠楽』
施設長 岸本祥一氏
住所:岡山県倉敷市真備町有井1472
撮影・取材・文/末並俊司
『週刊ポスト』を中心に活動するライター。2015年に母、16年に父が要介護状態となり、姉夫婦と協力して両親を自宅にて介護。また平行して16年後半に介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了。その後17年に母、18年に父を自宅にて看取る。現在は東京都台東区にあるホスピスケア施設にて週に1回のボランティア活動を行っている。