終わりの見えない介護を長く続けるために…。要介護4、認知症の母を遠距離介護する息子が明かす本音「あと10年続く覚悟。目の前のことを淡々と続けたい」
岩手で暮らす認知症の母を遠距離介護している作家でブロガーの工藤広伸さん。東京から実家に通う母の介護はなんと11年続いている。遠距離介護のエキスパートである工藤さんは、どんな心持ちで介護をしているのだろうか?ブログや講演会でよく寄せられる質問をもとに、認知症介護との向き合い方について教えてもらった。
執筆/工藤広伸(くどうひろのぶ)
介護作家・ブロガー/2012年から岩手にいる認知症で難病の母(80才・要介護4)を、東京から通いで遠距離在宅介護中。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護して看取る。介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。
著書『親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること』『親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと』(翔泳社)など。ブログ『40歳からの遠距離介護』https://40kaigo.net/、Voicyパーソナリティ『ちょっと気になる?介護のラジオ』https://voicy.jp/channel/1442
2012年から始まった認知症の母の遠距離介護
2012年11月15日。祖母が子宮頸がんで救急搬送され、祖母の入院手続きをすっかり忘れてしまった母の様子から、認知症を確信した日でもありました。
あの日から11年が経った今も、母の認知症介護は続いています。
公益財団法人生命保険センターが実施した『2021年度 生命保険に関する全国実態調査』によると、介護の平均期間は5年1か月でした。わたしは平均期間の倍以上、遠距離介護を続けていたようです。
遠距離介護の様子をブログ『40歳からの遠距離介護』や書籍、講演会を通して発信する中で、様々な質問やコメントを頂いてきました。特に多かった、介護に関する6つの質問とその答えをご紹介していきます。
質問1.認知症のお母さまとどのように向き合ってきましたか?
母の認知症が軽度だった頃は、わたしの中で母に対する期待が大きかったように思います。少しずつ料理ができなくなっているのに、得意料理を作ってもらおうとしたこともあって、まだやれると勝手に期待していた時期もありました。
しかし重度まで進行した今は、できることを探すほうが難しいくらいで、過度な期待はなくなりました。元気だった頃の母と今を比べることもしなくなって、現状を素直に受け入れられるようになったと思います。
11年という長い時間のおかげで、いい意味で諦められるようになりましたし、それが介護ストレスの軽減につながっていると思います。
→認知症の母が作る謎の料理「ゴールドブルー風」に衝撃を受けた話
→認知症の母が作った衝撃の“鶏肉をサッと温めた”料理に息子がハラハラさせられた話
質問2.岩手にいる妹さんを中心に、遠距離介護をしているのですか?
違います。介護のキーパーソン、いわゆる家族の介護の窓口は、東京に居るわたしです。もし母に何かあったときには、まず東京に居るわたしに連絡が来ます。移動に時間がかかって対応できないときだけ、岩手の妹を頼っています。
妹は2人の子育てに加え、シフトで仕事をしています。わたしは子どもがおらず、フリーランスで働き、時間の調整がしやすいため、わたしが中心となって遠距離介護を続けてきました。母の介護に関わった時間は、わたしのほうが圧倒的に長いです。
質問3.遠距離介護ではなく、介護施設に預けたほうがいいのでは?
母が施設を望まなかったので、在宅介護を続けてきました。これで良かったと思える理由は、お金です。もし11年前から母を介護施設に預けていたら、実家を売却していたかもしれませんし、わたしが介護費用を負担していたでしょう。
遠距離介護は交通費がかかりますが、それでも介護施設に預けるよりも介護費用はかかりません。在宅介護だったから、これまで母の介護費用を、わたしが1円も負担せずに済んだのだと思います。
わたしが介護で疲弊したら、母は介護施設に入ってもいいと言っているので、いずれお世話になる日が来るかもしれません。今のところは、最期まで自宅で介護するつもりでいます。
→認知症の母に「最期まで自宅で暮らして欲しい」と願う息子が10年ぶりに介護施設を見学した理由
質問4.いつまで続くか分からない介護で、心が折れそうになりませんでしたか?
わたしは心が折れるほど、介護を頑張らないよう意識してきたので大丈夫でした。遠距離介護を続けるためには、介護のプロの力がどうしても必要です。距離が離れているために、ひとりでは介護ができなかったので、自然と人に頼ることができました。
母は今、80才です。祖母は90才で亡くなったので、あと10年くらいは介護が続くかもしれないと思っています。10年先を意識するとさすがに疲れてしまうので、あまり先のことは考えないようにしています。
質問5.介護で最もつらかったのは、どんな時ですか?
母の白内障の手術後の介護です。母は手術したことを忘れてしまい、なぜ自分は眼帯をしているのか理解できませんでした。片方しか見えない視界を不思議に思い、何度も眼帯を外そうとするので、わたしは徹夜で眼帯を死守しました。
また4種類の目薬を1日4回、点眼しなければならなかったのですが、母は何滴差したかを覚えてられません。わたしが回数を数えながら目薬を管理し、完全に終わるまで4か月もかかって大変でした。
白内障の手術は、自分で目薬の管理ができるうちにやったほうがいいと思いますし、認知症が進行する前がいいと思います。
→認知症の母の白内障手術でぶつかった3つの大きな壁「眼帯を外そうとする母との攻防戦」
質問6.介護をしていてよかったと思うことは何ですか?
介護を通じて、時間をムダにしてはいけないと強く思うようになりました。
大ファンだった芸能人の名前が急に出てこなくなったり、自分の名前を漢字で書けなくなったりする母の姿をそばで見ながら、ある日突然、自分も同じようになる可能性があるかもと何度も思いました。
自分の体も頭も元気なうちにやれることはすべてやって、時間をムダにしないようにしよう。後悔のない人生を生きようと思うようになったのも、長く介護と関わってきたおかげだと思います。
あとどれくらい母の介護が続くのか、未来のことはよく分かりませんが、あまり深く考えずに、そして頑張りすぎずに、目の前の介護を淡々と続けていこうと思っています。
皆さま、よいお年をお迎えください。
今日もしれっと、しれっと。
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