兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第223回 幼き頃のアルバムを見て思うこと】
若年性認知症を患う兄と暮らすライターのツガエマナミコさんが、2人の日常を綴る連載エッセイ。兄の排泄や食事のお世話に日々翻弄されているマナミコさんは、兄の施設入居を決断しますが、実際に入居できる日は、まだ先のことになりそう…。そんな中、ふと見入ってしまった家族のアルバムに思うことが多い秋の日です。
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認知症率高めの家系…
先日、小さい頃のアルバムを見る機会があり、兄とのツーショット写真を眺めておりました。写真の中の兄は、いつもわたくしの傍らにいて、手を引いて歩いてくれたり、見守ってくれたりしております。4歳違いで、わたくしよりも圧倒的に大きく、3~4歳のわたくしにとっては頼り甲斐のある存在でございました。
今、テレビで兄弟タレントさまがくだらない会話で笑いあっているのを見ると、「兄が認知症でなかったら我らもきっと打てば響くような面白い会話ができたのに…」と思い、そんなパラレルワールドを妄想しては現実とのギャップに打ちのめされております。
写真の中の両親も、兄がこうなるとは夢にも思っていなかったはず。今彼らが生きていないことがせめてもの救いでございます。
親がボケることは想定内のお話ですが、子が先にボケて親のことがわからなくなってしまうのは切なすぎます。兄に「どちらさまですか?」と言われる父母の顔を見ずに済んだことはわたくしにとっては救いですし、お便さまを散らかす兄の姿を父母が見ずに済んだことも不幸中の幸いでござましょう。そういう意味で兄はギリギリ親孝行でございました。
我が親戚には、認知症の叔母もおりまして、今はグループホームにおりますが、どうやら転居を促されているようでございます。お世話をしている叔母の話によると、グループホームの入居者がどんどん高齢化し、手かかかるようになって人手不足なのだそう。強制ではないけれど、「あまりお風呂に入れてさしあげられなくて、こちらも心苦しいんです」とやんわり限界を匂わされているとのことでございました。叔母は大きな病気もないのでずっと居られると思っておりましたが、転居を促されることもあるのだなぁと学習いたしました。
もう一人都内に住む叔父がボケはじめており、連れ合いである叔母が手を焼いていると聞きました。ツガエの周囲では認知症が花盛り。親戚一同認知症に振り回されております。
文字が書けなくなり、物事の判断もできなくなる――――そんな将来が高い確率で起こると予想される今、どんな準備をすればいいのでしょうか? わたくしには子や孫はおりませんし、従兄弟たちに面倒をかけることはしたくない。「今だな」と思ったときに体も所有物も全部、空気に溶けてしまうようにならないものでしょうか? お葬式などいらないし、誰かに偲んでほしいとも思わない。昆虫さまのようにふっと消えて、生きていたという存在ごと失くせたらどんなにか簡単だろうかと思います。
手続きだの、書類だのということが面倒で未だにマイナンバーにも手を付けられないツガエは、昨今の電子マネー社会からも取り残されております。これ以上歳をとり世の中についていけなくなるのが恐ろしいのでございます。
じつは先日もうんざりしたばかり。兄のマイナンバーを保険会社に提出しなければならないのにマイナンバーカードがないので、住民票(マイナンバー入り)を取ろうと最寄りの行政サービスコーナーに行きましたら「世帯が同じじゃない人にはお渡しできません」と発行していただけませんでした。これまでは問題なく発行していただけていたのに「ご本人と一緒に窓口にいらっしゃるか、委任状をお持ちください」と言われてしまったのです。兄と世帯分離したデメリットの洗礼でございましょう。
世帯分離をしたからといって同じ住所に住んでいる兄妹であることは何も変わっていないのに、なぜ急に住民票が出せなくなるのでございましょうか? マイナンバーカードを作っていない自分が悪いのに、なぜか憤ってしまいます。
リラックス、リラックス、リラックス。明日は今日よりいい日でありますように!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。