父とつないだ手の感触がよみがえる!高木ブーが新曲『パパの手』にこめた想い|連載 76回
この夏のメインイベントを無事にやり遂げて、ひと安心の高木ブーさん。16日に横浜で行なわれた「1933ウクレレオールスターズ ライブ」では、広い会場を埋め尽くしたおよそ1000人の観客がブーさんの歌声と演奏に酔いしれた。とくに大きな感動を呼んだのが親子の愛を歌った新曲『パパの手』である。歌詞への思いを聞いた。(聞き手・石原壮一郎)
コンサートでは、ステージにいてもお客さんの感情が伝わってきます
さすがに疲れたけど、やり切ったって思える気持ちのいい疲れだね。まあまあうまくできたんじゃないかな。いつもライブのあとは「あそこは違う弾き方があったかな」なんて反省することがいっぱい出てくる。もちろん今回もそれはあるんだけど、全体としてはお客さんに十分に喜んでもらえるライブになったと思う。
自分のバンドでライブをするときと、「1933ウクレレオールスターズ」の一員としてステージに立つときとでは、なんていうか緊張感がちょっと違うんだよね。ウクレレオールスターズは、サザンの関口和之君も野村よっちゃん(野村義男さん)も荻野目洋子ちゃんも、ほかの3人のメンバーも、みんなまさにスターじゃない。
名前を広く知られていたり、その世界では高く評価されてたりする。その中で、自分に与えられた役割を果たさないというプレッシャーがある。自分のバンドのときは、僕が弾きたい曲を好きなようにやってるから気楽なんだけどね。そういう意味では無事にできてホッとしたし、いつもと違う楽しさを味わえた。
歌ってて「お客さんの心に響いてるな」と強く感じたのは、やっぱり『パパの手』かな。ステージにいても、お客さんの感情って伝わってくるんだよね。関口君が僕と娘のかおるをイメージして作ってくれた歌で、親と子で手をつなぐ幸せを歌ってる。
子どもが生まれたばかりの頃は親子で手をつなぐけど、だんだんそういうことも減っていくじゃない。でも、歌詞の後半には「いつかパパの手を引いておくれよ」って一節がある。長い親子関係がストーリー仕立てになってるんだよね。
関口君がリリースした新しいアルバム『FREE-UKES』にも入ってる。ちょっと恥ずかしいんだけど、僕とかおるの親子写真や8ミリの映像が出てくる『パパの手』のミュージックビデオもYouTubeで公開中です。
もちろん歌詞にもメロディにも大満足してるんだけど、実際にはかおるが幼い頃に手をつないだ記憶ってたくさんはないんだよね。生まれたときに病院で小さな手をさわっときの感動は、ちゃんと覚えてる。かおるが幼い頃はドリフターズが忙しくなってきた時期で、すれ違いの生活だった。旅行先の写真がたくさんあるのは、親子でいっしょに過ごせる貴重な機会だったってこともあるかもしれない。
かおるが子どもの頃は、「自分は父親の役目を果たせてるのかな」なんて思うこともあった。仕事は一生懸命にやってきたし、ママもテレビを見ながら「ほら、パパよ。がんばってるわね」なんて僕を立てていてくれてたから、会える時間は短くても気持ちの中ではいつも手をつないでいたと思ってるんだけどね。あらためて聞いたことはないけど。
僕自身にとっての「パパの手」は、明治生まれのおやじの手ってことだよね。巣鴨の自宅から大塚の映画館にチャンバラ映画を観に行くときに手を引いてもらったり、近所のお寺の縁日ではぐれないように手をつないでいてくれたりしたのを覚えてる。ゴツゴツした手だった。いつもは僕に甘かったけど、あるとき僕が悪い言葉を使ったことを叱られて、一度だけ平手打ちされたことがある。あのときは、おやじの手も痛かったんじゃないかな。
僕は6人兄弟の末っ子で、いちばん上の兄貴とは20歳ぐらい違うから、おやじにとっては孫みたいなもんだったんじゃないかと思う。もしかしたら当時のおやじが僕を見る気持ちは、僕が孫のコタロウを見る気持ちに近いのかもしれない。「子をもって知る親の恩」って言葉があるけど、孫を持って父親の気持ちや恩がちょっとわかった気がする。
誰しも「パパの手」の記憶があるし、自分がパパの人は子どもと手をつないだ記憶があるよね。あらためてつなぐのは恥ずかしい年齢だったとしても、何かの機会にこっそり「パパの手」を観察してみるのはどうかな。いろんなことを思い出すと思う。子どもが手をつないでくれる年齢だったら、ずっと覚えておこうって意識しながら、あらためて握ってみるのもいいんじゃないかな。
なんかいろいろ言っちゃった。『パパの手』を聴いた人が、親だったり子どもだったりいろんな立場から、親子ってやっぱりいいなと思ってもらえたら嬉しいです。
ブーさんからの一言
「幼い頃につないだ僕の父親の手はゴツゴツしていました。みなさんにもいろんな記憶がありますよね」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『Hawaiian Christmas』『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【Aloha】高木ブー家を覗いてみよう」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評。昨年6月に初めての画集『高木ブー画集 ドリフターズとともに』(ワニ・プラス)を上梓。毎月1回土曜日20時からニコニコ生放送で、ドリフの3人とももクロらが共演する「もリフのじかんチャンネル ~ももいろクローバーZ×ザ・ドリフターズ~」が放送中。8月25日まで「そごう横浜店」8階で開催中の「ハワイの風吹くウクレレ展『ウクレレの島』」(企画・プロデュース:関口和之)には、所有するウクレレが展示されている。
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊「【超実用】好感度UPの言い方・伝え方」が好評発売中。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。