名取裕子 愛憎入り交じる継母の介護と最期にかけた言葉告白
14才で実母を、20年前に最愛の父をがんで亡くした名取裕子(60才)。おひとりさまを貫く彼女は、これまで何度も愛する人の死を乗り越えてきた。しかし、2年前に看取った父の後妻だけは意味が違う。「実母の写真を捨てろ」と迫られ、「修学旅行に行きたい」と言えば通帳を投げつけられた。そして迎えた愛憎入り混じる継母の介護。その務めを終えた、今の心境とは──。
裏表のない、親しみやすい性格の名取
「ここ数年、じわじわとテレビ各局で2時間ドラマ枠が減ってきたことで、『2時間ドラマの女王』の名取裕子さんは少なからずショックを受けている様子でした。本人は“おばさん女優はつらいわ”と笑い飛ばしていたようですけどね。でも、すぐに新しいCM契約も決まって、舞台も続々オファーがきているそうです。今、再びブームがきているのを感じますよ」(芸能関係者)
デビュー40年を超えた今なお、名取は第一線で活躍を続けている。その理由は現場のスタッフに愛されるチャーミングな性格にありそうだ。
「彼女はさっぱりとした裏表のない性格で、日常のドジ話も包み隠さず自分から話す気さくな人です。ロケ先で出されるお弁当にも目を配っていて、“安くておいしいお弁当屋さんを見つけたのよ”とスタッフに声をかけたり、“あのお店のコロッケいいわよ。差し入れにしたら?”と後輩の面倒を見たりしています。
この前、“楽してやせたいの。糖質制限ダイエットなんて、ストレスでおかしくなっちゃうわ(笑い)”と豪快に笑っていました。通販広告に目がなかったり、健康食品に興味津々だったり、いい意味で普通のおばちゃんっぽい、親しみやすい人です」(別の芸能関係者)
14才で実母を、20年前に父を亡くし
そんな彼女のインタビュー記事が話題だ。9月15日付の朝日新聞朝刊に掲載された、著名人が自分の父親について語る『おやじのせなか』という毎週金曜の連載コーナー。
名取は14才で実母をがんで亡くし、その翌年に再婚した父の後妻と実母を比べ、思春期に複雑な思いを抱いていたと明かした。
『後妻さんは、母と違って家事が全然できない人。つゆが少ないうどんとか、たくあんが入ったすき焼きとか』
父が継母をかばうことで、名取との関係が険悪になったこともあるという。
『父が73歳で亡くなる少し前、「この結婚は失敗だったなあ」とつぶやきました。弱さを見せる父が、とてもいとおしく思えた瞬間です。ダメダメな同級生みたい。最後にそんな親しみを感じ、父をみとりました』
名取が過去をそう語るまでには、2時間ドラマ以上に波乱万丈な半生があった。
ネグリジェ姿で父に甘えていた継母
神奈川県横須賀市、海が一望できる山の上に名取の家はあった。3世代、13人の大家族で育った名取は、家事で忙しく働く料理上手な母を見て育った。
母の直腸がんが発覚したのは、名取が中学生の時。多少体調が悪くても、主婦は我慢をしていた時代。病院へ行ったときにはすでに手の施しようのない状態だった。
母を亡くしてから、名取が炊事、父が掃除と家事を分担していたが、1年後、父は再婚。48才の継母を迎え入れた。初婚だった継母は、「私はお嫁さんになったのであって、あなたたちの母親になるつもりはない」と名取と兄に言い放ったという。実母の写真を処分するように命じ、お弁当のおかずも父には豪華なチキンを、名取と兄には白米の上にコロッケを載せて新聞紙に包んで渡してきた。ネグリジェ姿で父に甘える継母を疎ましく思い、一刻も早く自宅を出たいと思っていた。
名取の心境に変化が訪れたのは30才手前、女優としてブレークした後だった。