松坂慶子、母を自宅で看取るまで。同居介護から9年目のお別れ
松坂慶子の最愛の母・つね子さんがこの春、静かに旅立った。松坂の結婚相手をめぐり一時、絶縁状態になったこともあったが、その確執を乗り越えて、9年前から夫婦で同居し、介護を続けてきた。
100才目前、大往生だった
自宅は100坪あまりの土地に建つ3階建ての豪邸。光沢のある焦茶色の壁と門扉、そして玄関扉の間の通路に設けられた車椅子用のエレベーターがひときわ目立つ。
「あのエレベーターはお母さま用のもので、車椅子でもスムーズに乗れるように3年ほど前につけられました。そのとき、お風呂なんかも一気に介護用にリフォームしたみたい。とにかくあの夫婦は、最期までお母さまのことを考えて、献身的に面倒を見ていました。もう、エレベーターに乗る人はいなくなっちゃったけどね…」(近隣の住民)
松坂は両親と一時絶縁状態にあったが、2007年には、父、英明さんが逝去。その後は、夫の高内春彦さんも一緒になってつね子さんの面倒を見みてきたという。2012年6月からは家族ぐるみでの本格的な「同居介護」が始まった。
「2年くらい前からはずっと寝たきり状態で、最期は自宅でご家族に看取られたようです。松坂さんは“母は100才目前まで生きることができ、大往生でした”と話していたそうですよ」(別の近隣住民)
「当時、つね子さんは要介護3の認定を受けていて、認知症の進行も認められていた。自力で日常的な行動をとることができず、車椅子なしでは移動もできない状態でした。同居を始めた当初、松坂さんは着替えや食事など、日常生活のお世話を頑張りすぎたんでしょうね。介護サービスにも頼らずにひとりですべてを抱え込んでしまい、かなり疲弊していました。
この頃は、ちょうど彼女が還暦を迎えた年で、体力面でも気力の面でも、若い頃のようにはいかなくなった。介護費用を捻出するためにも働かなくてはいけないけれど、介護のためには仕事をセーブするしかない…そんな葛藤に苦しむ状況が続いたようです。結局、1年半ほど仕事を休むことを余儀なくされました」(松坂の知人)
松坂の献身的な介護をサポートした夫と子供たち
そんな松坂の苦境を救ったのは、夫・高内さんと子供たちだった。
「仕事を再開した後も、“夫や子供に任せきりにするわけにはいかない”と、地方の仕事などは避けるようにしていましたが、高内さんが仕事をしやすい環境をつくり、支えてくれたそうです。
松坂さんがいないときは義母に1日3食を作ったり、車椅子を押して散歩に連れて行ったりと、それはもう頭が下がるくらいの献身ぶり。松坂さんは途中から“人に任せることが大切”と割り切って積極的に介護サービスも使うようになり、仕事で長く家を空けるときは、ヘルパーさんや看護師さんの手配も高内さんがしていたようです」(前出・松坂の知人)
松坂が『まんぷく』や今年1月放送のスペシャルドラマ『おもひでぽろぽろ』(ともにNHK)などに出演できたのは、かつて両親が結婚を大反対し、責め続けた夫のサポートがあってこそだった。
だが、昨年からの新型コロナの感染拡大は、介護に甚大な影響を与えた。
「お世話になっていた訪問ヘルパーさんが来ることができなくなり、デイサービスを受けられなくなるなど、心身ともにストレスがかかる日々が続いていたそうです」(前出・松坂の知人)
自宅で介護を続ける松坂にとっても「何かあっても母を病院につれて行けない」といった不安が募っていたという。
一方でコロナ禍は、彼女に「かけがえのない時間」を与えてくれた。
「コロナの影響で、昨年4月頃からドラマなどの撮影が約半年にわたってストップしたため、久しぶりに家でゆっくり過ごす時間が取れたみたいです。その間、つね子さんの好きな料理を作ったり、家の片づけをしていて昔の思い出の品を見つけたりして、ゆっくり向き合うことができたそうです。
その後、ポツポツと仕事が入り始めたときは、仕事を受けていいものかどうか迷ったようですが、『まんぷく』のときにお母さんが“行っていらっしゃい”と言ってくれたことを思い出し、夫のサポートを受けて仕事を再開する決断をしたそうです」(前出・松坂の知人)
松坂の事務所に事実を確認すると、次のようにコメントした。
「家族に見守られながら安らかに天寿をまっとういたしましたことをご報告させていただきます」
かつて結婚に反対し続けた娘の夫が支えたつね子さんの晩年。英明さんもつね子さんも草葉の陰から仲睦まじい家族の様子を安堵して見つめているに違いない。
※女性セブン2021年5月6・13日号