綾瀬はるか 寄り添い祈り続けた最愛の父の肺がん闘病
日本を代表するトップ女優ながら、純朴な一面も感じさせるのが綾瀬はるかの魅力でもある。故郷・広島に住む両親と2才上の兄を慕い、これまで「自分のエネルギーの源は家族」と公言してきた。なかでも父親については、「煮詰まったときには『気楽に頑張りなさい』と言ってくれる」と明かし、父の日には「いつも支えてくれてありがとう」とメールを送っていたという。
その最愛の父(享年67)が昨年6月、肺がんで急逝した。
大河ドラマの撮影が始まる直前に発覚した父のがん
「綾瀬さんのお父さんは広島の実家で農業を営んでいて、地元の消防団に入るほど元気なかたでした。普段は寡黙だけど、お酒を飲んだらよくしゃべっていたね。釣りが好きで、還暦を迎えた際に、綾瀬さんから赤い釣り用のベストをプレゼントされてとても喜んでいました」(近隣住民)
東京でひとり頑張る娘を応援するため、採れたての野菜や果物を送る心優しい父親のがんがわかったのは約2年前。綾瀬が出演したNHK大河ドラマ『いだてん』の撮影が始まる直前だった。
「お父さんのがんがわかって、綾瀬さんはものすごくショックを受けました。それでも彼女はごく一部の人にしかお父さんの病気を伝えず、プロ意識を持って仕事を続けました。天然で知られる彼女ですが、実は芯の強い女性です。忙しい仕事の合間を縫っては広島に帰り、お父さんと向き合っていました」(芸能関係者)
東京で最先端の治療を受けた父だったが…
がん発覚からおよそ半年後、看病の舞台を東京に移した。
「はるかちゃん(会話中は綾瀬の本名)の東京の友人知人が『パパを死なせてはいけない』と最先端の治療を受けられる東京の病院を紹介したんです。お父さんは新幹線で片道4時間かけて広島から上京して治療を受けるようになり、はるかちゃんも時間の許す限り、治療に付き添いました」(綾瀬の親戚)
肺がんは進行が早く、予後が悪いことで知られる。治療中に呼吸困難や疼痛などに悩まされるケースも多く、闘病は決してたやすくない。
綾瀬は必死でがんと闘う父親に寄り添い続けた。
「広島から長時間かけて移動して治療を受けるのは体力的にも大変で、お父さんはよく『やねこいよ(しんどいよ)』とこぼしていました。はるかちゃんはその姿を見て心を痛めつつ、“なんとか生きてほしい”と祈り続けていました」(前出・綾瀬の親戚)
必死の治療のかいがあって、父親は一時、畑仕事ができるまでに回復した。綾瀬や親族は奇跡を信じたが、昨年6月に病状が急変し、家族を残して旅立った。
「お父さんは東京の病院で亡くなったのち、広島に戻ってきました。“ずっと調子がいいから、このまま助かるんじゃないか”と思った矢先の急な別れだけに、はるかちゃんは通夜や葬儀の間は涙にくれていました。1週間ほど実家にとどまり、お母さんのそばで共に涙していました」(前出・綾瀬の親戚)
地元の風習にのっとり、父親のお墓は実家の庭にある。 そこから父親は、「気楽にやりなさい」と愛する娘を見守り続けるはずだ。
※女性セブン2020年3月26日・4月2日号
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