「ドリフの歴史、話しておこうか」高木ブーが今改めて振りかえる【連載 第24回】
『8時だョ!全員集合』で大人気となった「ザ・ドリフターズ」は、いつ誕生してどう変化してきたのか。いかりや長介をリーダーに、高木ブー、荒井注、加藤茶、仲本工事というおなじみの5人で活動をスタートしたのは、55年前の1965(昭和40)年。高木ブーさんが加入したのはその前年である、その頃のドリフについて聞いてみた。(聞き手・石原壮一郎)
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娘のミルク代の話をしてギャラが上げてもらった思い出
このあいだの『24時間テレビ』(日本テレビ系)は、楽しかったな。1966(昭和41)年のビートルズ来日公演のときに、ドリフは前座で『Long Tall sally(のっぽのサリー)』をやったんだけど、加藤、仲本、僕の3人でそれを54年ぶりに披露できた。ラストの3人のコケも、まあまあうまく決まったかな。
まさか、またそんな機会があるとはね。あらためて人と人との縁とか人間の運命とかって、本当に不思議だなって思う。ウクレレと出合ったのも、ドリフに入ったのも、ドリフが人気者になったのも、たくさんの偶然の積み重ねだもんね。
「ザ・ドリフターズ」といえば、いかりや長介さん、加藤茶、仲本工事、荒井注さん、そして僕の5人で、途中で荒井さんが抜けて志村けんが入った――。そう思っている人がほとんどかもしれない。でも、そうなるまでの歴史も、けっこう長いんだよね。
もともとのドリフがなかったら、当たり前だけどその後のドリフもなかった。いなくなっちゃった長さんの代わりにっていうとヘンだけど、昔のことを多少は知っている僕が、ドリフというグループへの感謝を込めてその頃について話します。
「ドリフターズ」っていうのは、流れ者とか漂流者っていう意味なんだって。意外に思う人も多そうだけど、ドリフは長さんが作ったわけじゃない。1956(昭和31)に結成された「サンズ・オブ・ドリフターズ」っていうロカビリーバンドがルーツで、そこから何度か名前が変わった。まだ無名だった坂本九さんがいたこともあるらしいよ。
結成してから6年後の1962(昭和37)年、コミカルな路線に力を入れたかった当時のリーダーの桜井輝夫さんが、そういうのが得意だった長さんを別のバンドから引き抜いた。加藤が来たのも、同じ頃かな。やがて桜井さんはオーナー的な立場になって、長さんがリーダーを引き継いで「碇矢長一とザ・ドリフターズ」になった。
僕はといえば、自分がリーダーでジャズコーラスのバンドを結成したり、ジェリー藤尾さんの専属バンドで演奏したりしていた。ジェリーさんのバンドに控えのシンガーとして入って来たのが、まだ学生だった仲本。その時はメガネはかけてなかった気がする。
ドリフとはジャズ喫茶で何度か共演してたしテレビでも見てたから、名前はよく知ってた。「面白そうなことやってるな」とは思ってたけど、入りたいという気持ちはとくになかったな。ところが1964年の8月の終わり頃、横浜の深夜営業のジャズ喫茶に長さんと桜井さんが現れて「東京まで送るよ」って、桜井さんの車に乗せられたんだよね。
あとで知った話だけど、その時のドリフは大ピンチだった。長さんの厳しいやり方にメンバーが反発して、主要な4人がまとめて脱退することになった。加藤は残ることになったけど、テレビの次の収録もあるし、急いでほかのメンバーを集めなきゃいけない。
当時のバンドの世界は移籍や引き抜きは当たり前だったから、ふたりの顔を見た時点で何の話かは察しがついてた。僕は前の年に娘のかおるが生まれて一児の父になってたし、移るんだったらいい条件で移りたい。でも、ギャラの話とかは昔から得意じゃないんだよね。
長さんも自分の本に書いてたけど、僕は遠回しにギャラのアップを要求するつもりで、後部座席で隣りに座る長さんに「娘のミルク代がかかって困る」ってこぼしてみた。だけど、察してくれなくてさ。同じように子どもが生まれたばかりの長さんと、延々とミルク談義をしてた。もうすぐ家に着くってときにやっとピンときたみたいで、「わかった、ミルク代としてゲーセン(5000円)アップでどうだい?」って言ってくれたんだよね。
僕と同じ1964年の9月に入ったのが、長さんが「顔が面白いから」っていう理由で連れてきた荒井さん。長さんはあとから「ピアノの腕も確かめればよかった」って悔やんでたけどね。そうやってドリフが再出発した時には、サックスとギターにしっかり音楽ができる人が入ってくれてた。ただ、その人たちはコメディに興味がなかったり体調が悪かったりして、すぐ抜けることになったんだよね。
困った長さんに「誰かいいギタリストいないかな」って言われて僕が誘ったのが、音楽をやめてサラリーマンをやってた仲本。じつは、前のバンド仲間とどっちに声をかけるか迷ったんだけど、長さんが「早く、早く」ってせっつくから、すぐ連絡が取れた仲本に声をかけたんだよね。こうして1965年の頭に、おなじみの5人が勢ぞろいした。
長さんと加藤がドリフに残されたのも、荒井さんや僕が入ることになったのも、あとから仲本を誘ったのも、すべて偶然だよね。ひとりひとりにとって、ラッキーな偶然だったのは間違いない。そしてドリフというグループにとっても、結果的にこの5人の顔ぶれになったのは、あえて図々しく言わせてもらうとラッキーな偶然だったと思う。
自分としては、偶然が与えてくれたチャンスに必死にしがみついてきた感じかな。まあ、長さんに怒られながらしがみつき続けるのも、それなりにたいへんだったけどね。これからもそんな調子で、楽しくゆらゆら漂流(ドリフト)していきます。
「運とか縁とか本当に不思議だよね。ドリフが人気者になったのはラッキーな偶然でした」
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高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』(http://www.110107.com/s/oto/discography/DQCL-566?ima=1025)など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【WithBOO】雷様のウクレレ レッスン」(イザワオフィス公式チャンネル内)も大好評!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。