高木ブー他界した妻への想い「今も家に来てるんですよ」【連載 第23回】
「時々、家の中にひょっこり現われるんだよね」――。26年前に亡くなった妻の喜代子さんについて、高木ブーさんは少しテレながらそう語る。目には見えないが、気配を感じて、娘のかおるさんと「今日、ママいたね」と言い合うとか。周囲の反対を押し切って結婚し、下積み時代からともに苦労を重ねた「最高の伴侶」について、思い出を語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)
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妻は親の反対を押し切って結婚を決意してくれた
前回は家族旅行の話の流れで、ママが登場してきちゃった。いろいろ思い出したから、もう少し妻の喜代子の話を続けてさせてもらおうかな。ノロケっぽくなるかもしれないけど、もうすぐ旧暦のお盆だし、大目に見てください。
僕と3歳年下の福本喜代子さんが結婚したのは、1962年2月1日。ダンスパーティで知り合って、5年ぐらいお付き合いしてた。デートはいつも彼女の家で、行くとお寿司を取ってくれたんだよね。ほとんど毎回、おばあちゃんが三味線を弾いて、妹さんが日本舞踊を踊ってくれた。とにかく、すごく手厚くもてなしてくれてね。
じつはその頃、喜代子さんのほかにもふたりのガールフレンドがいた。もちろん、プラトニックですよ。僕はそこまで器用じゃないから。百貨店に勤めていた人と喫茶店に勤めていた人で、ちょうどって言うとヘンだけど、休みの曜日が違ったんだよね。
だけど、僕が煮え切らないもんだから、ふたりには次々と振られちゃった。でも、ひとり残ったから喜代子さんと結婚したわけじゃないよ。もちろん、お寿司に釣られたわけでもない。今思うと、心の中で「結婚するならこの人しかいない」って決めてたんだろうな。
彼女はすごくしっかりしていて、決断力もあった。いつも優柔不断な僕にとっては、ありがたい存在だったんだよね。娘のかおるが生まれた翌年、長さんにドリフに誘われてどうしようかと悩んでいるときも、「新しいことに挑戦してみたら」って背中を押してくれた。自分だけだったら尻込みして、一生に一度のチャンスを逃していたかもしれない。
だいたい僕と結婚してくれたこと自体、決断力っていうか思いっ切りがよくないとできないよね。当時のミュージシャンなんて、今以上にどっかの馬の骨じゃない。格子戸を潜り抜けて入っていくような由緒正しい家だったから、ご両親も明治生まれのおじいちゃんも大反対だった。お客としてもてなしてはくれても、結婚となると話が別だもんね。
結婚式当日の朝も、お母さんに「今からでも遅くないわよ」って止められたって、あとから聞いたな。だけど彼女はそれを拒否した。おばあちゃんも「あの彼なら大丈夫」って味方してくれたらしい。喜代子さんが僕のどこを気に入ったのか、あらためて聞いたことはなかったけど、そこまで決断させておいて不幸な目に遭わせるわけにはいかないよね。
結婚当初はアパート住まいで、3年目からは妻の実家の庭にある小さな家に家賃を払って住まわせてもらっていた。結婚に反対してた両親が隣りの家にいるわけで、最初は肩身が狭かったな。そのあと『8時だョ!全員集合』が人気番組になって、高木ブーの顔と名前が多くの人に知られるようになった。僕もだけど、妻もずいぶん気が楽になったと思う。
『8時だョ!全員集合』をやってた頃は、忙し過ぎて家のことも娘の子育ても、全部任せっきりだった。しっかりやり遂げて、かおるをちゃんと育て上げてくれたのは、彼女だったからだと思う。いつだったかポロッと言ってたけど、あの番組は生放送だったから、テレビを見ながらケガや失敗がありませんようにって気が気じゃなかったらしい。
「夢のよう」と喜んでくれた思い出
『『全員集合』が終わって、ようやくふたりで出かける時間ができた。いちばんの思い出は、1990年1月に一泊二日で「クィーンエリザベス2世号」に乗ったことかな。おいしい料理を食べて豪華なショーを楽しんで、彼女も喜んでくれた。そのときの記念写真の裏には、彼女の自筆で「夢のようです」ってメモ書きがあるんだよね。
脳腫瘍が見つかったのは、その2年後でした。何度も手術して、最初の2回の手術のときは少し元気になったんだけどね。でも、3回目の手術が終わったら、身体を動かすことも話すこともできなくなった。毎日お見舞いに行ってたけど、何か言いたそうに瞳を動かすばかりで、言葉は出てこない。僕も辛かったけど、本人はもっと辛かっただろうな。
たぶん僕への励ましとかアドバイスとか、そういうことが言いたかったんだろうと思う。僕や娘が心配でしょうがないから、今も時々家のあちこちに現われてくれるのかもしれない。早くいなくなっちゃったのは悔しいけど、僕は最高の伴侶に恵まれました。
いずれ向こうの世界で再会したら、3回目の手術のあと、僕に何を言いたかったのか、そして僕と結婚したことをどう思っているのか、あらためて聞いてみたいと思ってます。あっ、その前に僕のほうから「結婚してくれてありがとう」ってお礼を言わないとね。ちゃんと言ってなかった気がするから。
「妻が背中を押してくれたから、ドリフのメンバーになる決意ができた。最高の伴侶です」
高木ブー(たかぎ・ぶー)
1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』(http://www.110107.com/s/oto/discography/DQCL-566?ima=1025)など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。YouTube「【WithBOO】雷様のウクレレ レッスン」(イザワオフィス公式チャンネル内)https://www.youtube.com/watch?v=bCpTNzPM8YM&t=7sも大好評!
取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)
1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。
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