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山田太一のファンタジーが心を揺さぶる『丘の上の向日葵』【水曜だけど日曜劇場研究】第3回

 ドラマの巨匠・山田太一とは、意外にもファンタジー作家ではないだろうか。1956年に始まったTBSのドラマ枠「日曜劇場」を独自の視点で物語に迫るドラマレビューで定評のあるライター近藤正高が紐解くシリーズ第3回では、名作『丘の上の向日葵』の前半を中心に、脚本家・山田太一の資質を大胆に考察する。

→第1回を読む「コロナ延期のドラマ半沢直樹を待ちながら」

→第2回を読む「名作『丘の上の向日葵』と堺雅人『半沢直樹』の意外な縁」

中高年男性にストレートに訴えかける

 1993年4月、従来の単発ドラマ枠から連続ドラマ枠に移行した「日曜劇場」(当時は「東芝日曜劇場」)の第1作『丘の上の向日葵』は、朝の満員電車の場面から始まった。すし詰めの車内で、小林薫演じる主人公の柚原孝平がふいに「会社行くのをやめて、温泉でも行くかなー」とつぶやいたかと思うと、ほかの乗客たちに呼びかける。

「どうですか? 次の駅で降りて温泉に行く」
「温泉行きたい人は次の駅で降りる。女性も歓迎です」

 ここでどこからか「いいなあ」という声があがり、孝平の口調はさらに熱を帯びる。

「いいなあ。急にそういうことしてしまうなんて、いいじゃないですか。一生の思い出になりますよ。だいたい、そういうことのない一生なんて一体何ですか。ひょいひょいと温泉行っちゃいましょうよ」

 孝平の呼びかけに、車内のあちこちから「行きます」という声が挙手とともにあがる。だが、出勤する乗客たちがにわかに連帯したかに見えたのその瞬間、ガタンと電車が揺れ、いままでのできごとは孝平の幻想だったことがあきらかになる。そしてドラマは、次のような彼のモノローグで幕を開けるのだった。

「馬鹿げた空想だが、誰だってときにはそんなことを思うだろう。ただ、私はそのとき、かなり厄介なプロジェクトを抱えていた。そんな空想をしている暇はなかった。ところが妙に空想にとらわれてしまう。それが、この物語の始まるころの私の、心の状態だった」

 新生・日曜劇場の記念すべき第1作は、このようにサラリーマン層、とりわけ中高年男性にストレートに訴えかける形で始まった。スタッフ陣は、脚本に山田太一、演出には清弘誠と高橋一郎、プロデューサーは先ごろ亡くなった堀川とんこうという布陣である。堀川はかつて山田と組んで『岸辺のアルバム』(1977年)という名作を生み出していた。

『丘の上の向日葵』は。一種のファンタジー

『丘の上の向日葵』の主人公の孝平は40代(ちなみに放送当時の小林薫の実年齢は41歳)、東京郊外に一軒家を構え、専業主婦の妻と高校生の娘の3人で暮らしている。職業は写真フィルム会社の研究所に勤務する技術者で、目下、カラースキャナーの開発チームの主任として試行錯誤を重ねる日々だ。孝平が職場で尽力する様子は、かなり取材したのだろう(富士フイルムが制作に協力している)会話にも専門用語が頻出し、丁寧に描かれている。これをテーマに据えれば、近年の日曜劇場の人気シリーズ『下町ロケット』のような作品になりそうだが、本作において孝平の仕事はあくまで背景にすぎない。

『丘の上の向日葵』とはどんな物語なのか? いうなら、中年サラリーマンがありえたかもしれない別の人生を疑似体験する物語とでもなるだろうか。一種のファンタジーといってもいい。

 ありふれた人々の日常のなかに非日常的なできごとをまぎれこませることで、社会や家族の抱える問題を浮き彫りにする。それがファンタジーの主要な役割だとすれば、『丘の上の向日葵』にかぎらず、山田太一の大半の作品はこれに当てはまる。これは筆者のかねてからの持論なのだが、山田こそ戦後日本においてもっとも支持を得たファンタジー作家ではないだろうか。

 たとえば、NHKで1976年から82年にかけて放送された『男たちの旅路』シリーズの1篇「シルバー・シート」(1977年)では、社会や家族から見捨てられた老人たちが、やはり世の中から消えつつあった路面電車の車両を占拠して立て籠もり、自分たちの存在を主張する。現実にありえそうもないできごとだが、高齢化社会を迎えつつあったこの時代に、こうした形で老人問題をとりあげたのは意義深いことであっただろう。

 あるいは、同じくNHKの大河ドラマ『獅子の時代』(1980年)では、主人公のひとりとして架空の元会津藩士の男(演じるのは菅原文太)を据え、幕末から明治初期にかけてのさまざまな事件や歴史上の人物と遭遇させた。もちろん、そんな人物は実際にはいそうにないが、幕末・維新という時代を総体的に描くため、あえて創作したのである。一介の人物がひょんなことからさまざまな歴史的事件・人物に遭遇するという点では、トム・ハンクス主演の映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年)より15年近くも早い。

 現実にありえない設定ということでは、現代の家族が太平洋戦争中にタイムスリップする『終りに見た街』(1981年刊の小説を1982年・2005年に山田自身の脚本でテレビドラマ化)や、中年脚本家が若き日の両親と出会う『異人たちとの夏』(1987年刊の小説)はその最たる例といえる。『異人たちとの夏』は、1988年に第1回山本周五郎賞を受賞し、大林宣彦監督・市川森一脚本で映画化もされた。主人公が若き日の両親に出会うというところは、今年日曜劇場で放送されてヒットした『テセウスの船』と重なる。

「日曜劇場」にひとつの路線を敷いた

 このように山田太一はファンタジー要素を多分に盛り込んだ作品を数多く手がけてきたが、そのなかでも『丘の上の向日葵』は「中年男のファンタジー」ともいうべき作品である。それは「日曜劇場」にひとつの路線を敷いたと言ってもいい。

 話を再び『丘の上の向日葵』のストーリーに戻すと、孝平はある晩、会社帰りに乗換駅のホームでひとりの女性(島田陽子)と出会った。気分が悪いという彼女に言われるがまま、彼は付き添うことになる。奇しくも彼女の家の最寄駅は孝平と同じで、結局、丘の上にある自宅まで送り届けた。しかし、じつは女性は孝平をわざとそう仕向けたのだ。彼女は話したいことがあると彼を家に招き入れると、唐突にあなたの子供がいると打ち明ける。19年前、彼女はたまたま一夜をすごした孝平とのあいだに男児をもうけたと言うのだ。

 彼女と一晩をすごしたことは孝平にも心当たりがあり、彼女がウソをついているとは言いがたかった。後日、散歩がてら再び彼女の家まで来ると、電動車椅子に乗った青年(筒井道隆)と顔を合わせる。玄関に入るのに苦労をしている青年を見かねて、孝平は手伝ってやった。この青年こそ、あの女性の言う自分の子供なのか……。思い悩んで、同期の東郷(大地康雄)に相談したところ、深入りするのはやめろと止められる。孝平ももちろんそのつもりだったのだが、結局またあの家に足を運んでしまい、女性と再会。さらに後日、彼女に呼び出されたのを機に、奇妙な交流が始まった。

 謎に包まれていた彼女の素性も次第にあきらかになっていく。第3話の終わりがけにして、孝平はようやく(姓は矢部だとは家の表札で知っていたが)彼女の名前が芙美、息子の名前が肇だと知る。肇はバイクの免許をとった直後に事故に遭い、足が不自由になった。丘の上の家には、その前年、それまで一緒に暮らしていた母親を亡くしてから、引っ越してきたという。

 孝平は妻と娘には散歩だと言って、毎週末のように芙美と肇に会いに行く。それはやがて娘の信江(葉月里緒菜=現・里緒奈)の知るところになり、いつしか孝平と芙美は、それぞれの子供を介して、さながら一種の疑似家族のような団欒を持つにいたった。

 そのなかで信江が父と芙美の本当の関係を知らないまま、肇と会ううちに恋心を抱くようになる。それに気づいた孝平は、肇に「おまえの妹かもしれないのだから」と信江にはあまり会うなと釘を刺した。それでも二人が会い続けていることを知ると、とうとう信江に事実を打ち明けてしまう。当然、信江はショックを受けるが、しばらくすると肇の「心に切り替えがついたら、また遊びに来て」との言葉もあり、事実は事実として受け入れ、彼との交友を再開する。

 ここまでがドラマ(全12話)の前半にあたる第7話までのストーリーである。当初、芙美は孝平に「あなたの家族には立ち入らない」と言っていたが、思いがけず、彼の娘まで巻き込むことになってしまった。ここでひとり置き去りにされたのが、孝平の妻・智子(竹下景子)だ。後半に入ると、孝平と智子のあいだにひと波乱起こり、「中年男のファンタジー」は揺らぐことになる。次回ではさらに続きを見ていくことにしたい。

『丘の上の向日葵』は配信サービス「Paravi」で視聴可能(有料)

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文/近藤正高 (こんどう・ まさたか)

ライター。1976年生まれ。ドラマを見ながら物語の背景などを深読みするのが大好き。著書に『タモリと戦後ニッポン』『ビートたけしと北野武』(いずれも講談社現代新書)などがある。

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