突然ALS発症の妻、家族の負担が増える人工呼吸器の選択とは
2019年7月、筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患している船後靖彦議員(62才)が参議院選で初当選した。船後議員の登院などでも注目されるようになったこの病気は、手足や喉、舌などの筋肉や、呼吸に必要な筋肉の力がなくなっていく国の指定難病だ。
都内在住の貿易会社経営、山本真さん(61才、仮名)は、ALSを発症した妻、希実枝さん(59才、仮名)を4年にわたって在宅介護している。24時間、365日、やむことのない介護生活だ。
「病気は注目されるようになったが、介護している家族や周囲の大変さは、あまり語られることがない。その実情を知ってほしい」と今回のインタビューに応じてくれた。
連載では「発症」「在宅介護」「公的支援と費用」の3回に分けて、山本さんの介護の軌跡を追っていく。
「階段が上がれない」とかかってきた電話
「お風呂に入っていると、妻がやってきて軽い調子で言いました。“実は私、ALSと診断されたの。体がどんどん動かなくなって治らないんだって”」
ALS告知はあまりに突然だった。
2015年の11月のことである。編集者をしていた希実枝さんは、その年の5月頃から足が思うように力が入らなくなった。趣味で通っていた合気道の道場で転ぶ。段差もないところで頻繁につまずくようになっていた。真さんは「ちゃんとしたところで診てもらったほうがいいよ」とは言ったが、希実枝さんが整形外科に通院するくらいで、夫婦とも深刻には受け止めていなかった。
しかしだんだん動けなくなっていった。整形外科から大学病院を紹介され、そこでALSと診断された。希実枝さんは診断されてからも仕事を続けていたが、病気は徐々に進行し、11月には片杖になり、12月には両杖になった。
「12月の寒い日に妻から電話がかかってきて、自分で階段を上がれないというのです。外階段のエレベーターのないマンションで暮らしていたので、すぐに迎えに行き3階まで抱えて運びました。この状態ではエレベーター付きのマンションに引っ越しせざるをえません。そして、ほどなくして車椅子の生活になったのです」
ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、脳や末梢神経からの指令を筋肉に伝える運動神経細胞が侵され、筋肉の働きが低下していく。手足の麻痺による運動障害だけでなく、舌や喉の筋肉が弱ることで話すことや飲み込むことが難しくなり、さらには呼吸が困難になっていく。全国に患者が1万人以上いると言われる。
医療ジャーナリストの油井香代子さんは、ALSは、本人だけでなく周囲にとっても大変な病気の筆頭なのだと語る。
「物理学者のスティーヴン・ホーキング、フランス文学者の篠沢秀夫などが罹患したことで知られるようになりました。有効な薬も治療法もみつかっていませんし、いつ誰がかかるかわからない。そこで、希実枝さんのような働き盛りの中高年が急に発病し、症状が進んでいくことにショックを受けることが多い。本人にとって受け入れることが大変なだけでなく、周囲にとっても受け入れて闘病を支えていくことは、とても難しいのです」
顔に青あざができていた実母
希実枝さんがALSと判明するまでには半年がかかった。医師はいろいろな病気を想定して検査を進めていき最後に残ったのがALSだった。当初は筋肉疲労で転び出しただけだろうと考えていた。まさかそんな難病とは思わなかった。ALSと診断されてもそれを受け入れることができず、生命保険についていたセカンドオピニオンのオプションを使って病院に行ったが、そこでも診断は同じで、医師は次のように言った。
「奥さんのALSは、これまでの状況からすると進行が早いかもしれません」
真さんは、妻の突然の告白を聞いてすぐに、区の地域包括支援センターに行き、事情を説明して介護保険の申請をする。すでに希実枝さんは伝い歩きのような状態で家の中を移動していた。センターはケアマネジャーを選定し、事業所を決めてくれた。その後、区の介護保険課の職員が来て、介護の認定調査で要支援2と判定された。
まだ杖を突いていた頃、車椅子生活になることを想定して夫婦で通勤路を調べた。ICレコーダーに「何両目に乗ったら、乗り換えがしやすい」「どの出口で出たらエレベーターに乗りやすい」などと録音し、それをマップと照らしながら通勤方法を考えた。
「そのICレコーダーが先日出てきて聞いてみたのです。“なんか足を引きずってるよね”“足がペタペタしていて上がらなくて前に出ないんだよね”という、なんとも軽い調子の会話でした。当時は症状がこんなに進んで、介護の苦労をしなければいけないなんて思ってもみなかった」
そう真さんは話す。
真さんが抱えていたのは妻の病気だけではなかった。東北地方に住む一人暮らしの母親(当時87才)の介護問題もあった。一人っ子の真さんは、出張に合わせて月に1、2回帰省して、母親の状況を確認していたのだが――。
ところが帰省した日、顔を見ると、半分に青あざが広がっていた。真さんを心配させまいとしていたが、腰が曲がって歩くことに支障が出てきていて、転ぶことが多くなっていた。
妻の介護と実母の遠距離介護。正月に上京すると、2台の車椅子に嫁と母が仲良く乗っていた。
正社員として働きながら自宅介護する家族も
真さんは、ALSという病気のこと、自宅での介護のやり方を知るために、日本ALS協会のセミナーに参加し、吸引の仕方やコミュニケーションがとれなくなったときに意思伝達のために使う文字盤の読み方などを勉強した。さらに人工呼吸器をつけて在宅介護をしている家を訪問して、実際の介護を見ている。
「そこのお宅は、正社員として働いている妻と成人したお子さんが2人いて、仕事をしながらヘルパーさんの手を借りて介護をしていました。介護離職しようと思ったけれど、協会の人と話したり調べていくうちに、正社員として働きながらでも自宅介護はできるということにたどり着いたと話されました。ただうちの場合と言えば、妻の実家は遠方ですし、介護に参加してくれる子どもも兄弟もいません。圧倒的にマンパワーが足りない中で、やっていけるかなと心配しました」
希実枝さんは車椅子を使うようになってからでも通勤していた。会社が入っているビルは古く、通路もエレベーターも狭い。すっと車椅子が入れなかった。希実枝さんが会社の下に着くと、男性の社員が出てきてくれ、向きを変えながら車椅子を入れてくれた。ただしトイレはどうしても使いづらいため、会社の前にあったデイケアセンターのユニバーサルトイレを使わせてもらえるように掛け合って、使えるようになった。
進行を遅らせる薬を自宅で点滴したときは、治療後の体調がすぐれず家で仕事をした。検査などで入院しているときは、病室にパソコンを持ち込んだほどの仕事人間。会社から送られてきたゲラに赤を入れ、それを真さんが家でスキャンして会社に送った。