コメント
この記事へのみんなのコメント
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SENJI KANAEDA 金枝宣治
2020-01-28
私は1958年生まれ。おそらく貴方のお兄さんと同じ年齢でしょう。3つ下の弟が母亡きあと十年間、認知症になった父を九州大分から大阪に引き取り、亡くなるまで義理の妹(弟の奥さん)と甥っ子とともに面倒をみてくれました。そのせいが多分にあるのですが、弟以外との関係は途絶えてしまいました。私は母がなくなる少し前から渡米し17年になります。お寺の跡取りではなく自ら出家得度した僧侶で、独り身ですからもし日本にいれば父親を引きとることは可能でした。とまれ貴方の手記を読み始めてとまらなくなり、今朝はお勤めに起こされたほどです。いま伝えたいのは、血のつながりはなくともまわりに認知症が始まった友人(地元の米国人)がいて、参考にしたいこと、それと貴方のご苦労を身をもって分かち合うことはできませんが、先行きを案ずるとどうじに心の中で支援したい、少なくとも愛読者でありたいと願っております。小生も住む場所こそ保証されているものの、もとより定期収入はなく選んだ道とはいえ文字どおり裸一貫です。物忘れが多いのは若い頃からですが、自分がお世話される身、あるいは野垂れ死にするやも知れません。覚悟のうえでのほほんと生きているのですが。「頑張って」という言葉をかけると「これ以上どう頑張ったら良いのか。」とおしかりを頂戴しそうですが、貴女は女性ならではのタフネスをお持ちのようです。何より御身体を大切にされ、兄さんを日々お世話されますことを願っています。定期的に何らかの息抜きができればよいですね。 合掌
最近のコメント
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遥
2024-05-13
こんにちは。 最愛の。私の母も言わないですね。言おうとしたらやはり固まるかもwいえ、私も固まると思いますが。周りで言ってらした方でもいたのでしょうか。つられることってありそうですね。
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とくめい
2024-05-13
初回からずっと通しで読ませていただきました。手術のときはハラハラされたことでしょう。大変でしたね。私の母はのぶ様のお母様の妹といった年齢ですが、やはり脂質の生クリームが大好きです。なぜにそんなに好きなのか聞くと若い頃から歯が悪いので食べやすいからだと申しております。あと、ガツンと食べた気がするからだそうです。戦後の食糧難を過ごしてきたので、食べるなら腹に溜まるものという考えが強いのでしょうか 。食事は毎日のことなので、しんどいですよね。季節の変わり目で体調も崩しやすいので、どうか、のぶ様もご自愛ください。
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わん吉おかん
2024-05-12
ぬらりんさん、楽しいお話し、ありがとうございます。生活が落ち着いてこられたのでしょうねコロナ禍前に私の母も89歳で大腿骨骨折の為リハビリ病院に入院していました。 食堂で面会を済ませ席を立つと、回りの患者さんが「お嫁さん?」と必ず聞いてきます。 「娘」と得意げに答えた後「末っ子で、今でも私に“甘えてくるのよ”」と、母の声が高らかにエレベーターホールまで聞こえてきて、膝から崩れ落ちそうになりました(笑)母は、昨年2度目の大腿骨骨折をしましたが95歳で元気です。 ぬらりんさんのお話しで、嬉しそうな母の顔を思い出しました。長文になってしまい、ごめんなさい。