兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第273回 思い立ったが吉日】
長年2人で暮らしてきた兄が特別養護老人ホームに入所し、一人暮らしになったライターのツガエマナミコさん。認知症の症状が進み、兄のさまざまな生活トラブルをマナミコさん一人でサポートしてきた日々は終わりましたが、施設にいる兄の様子は気になるもの。たびたび面会に通うことが日課になったきたようです。
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兄は特養で元気に過ごしています
昨日、10月23日は、二十四節気(春夏秋冬という四季をさらに各6分割した季節の分類)でいう「霜降」(そうこう)。山の方では朝晩に霜が降りる頃だそうで「冬がすぐそこ、でもギリギリ秋」という時節でございます。
今年はいつまでも暑い日が続いて、なかなか半袖が仕舞えない秋でございましたが、あっという間に冬が来て、人々は防寒の装いに変わることでございましょう。
今週も兄のところへ面会に行ってまいりました。
前回、暗証番号を間違い続けてピー音が鳴ったエレベーターを無事にクリアし、2階の食堂におじゃますると、スタッフの方が「どうも~」とお声を掛けてくださり、その先に車イスに座っている兄が見えました。
近づいて「来たよ」というとニコニコして、なんだか気分がよさそうでした。「お部屋に行きますか?」とスタッフさまが車イスを部屋まで移動してくださり、「ごゆっくりどうぞ~」とにこやかに対応してくださいました。
兄は、ベッドで起き上がっていることが多いらしく、万が一落ちても怪我をしないようにと、夜はベッドの下にマットを2枚敷いていると説明してくださいました。
わたくしが差し入れのプリンとヨーグルトをスタッフさまに手渡すと、兄に見せて「今食べます? すぐ持ってきますね」とプリンをお椀のような器にあけて持ってきてくださいました。
「最近、お食事は全部ご自身で食べるんですよ」とのお言葉通り、兄は始めこそお味噌汁を飲むように器を傾けて吸い込みましたが、口にプリンが入ったとたん、スプーンを使って一口一口しっかり食べてくれました。思わず拍手しながら、わたくしは過保護過ぎたのかもしれないと反省いたしました。
二人きりでお部屋にいても会話は成り立たないのですが、この日は意味不明ながらも兄が何かしゃべってくれたので間が持ちました。「あれが、こうだから、そうなんだよね?」と、名詞も動詞も出てこない兄ボケ語に、こちらも「あっ、そうだったの?」とか「やっぱりそうだよね」といった兄ボケ語のあいづちをして20~30分を過ごしました。
家にいるときは、こんなに穏やかに兄の顔を見て話すことはなかったと思い、「施設にいてくれてありがとう」と心から感じた次第でございます。
「また来るね」というと「今度はいつか?」と兄が言うので、「1週間ぐらいしたらまた来るよ」と、つい答えてしまいました。本当は2週間ぐらい空けたいのですが、なぜか言えません。時間の間隔がないのですから、それを守る必要はございませんが、やはり自分の言ったことには責任を持ちたいので、また来週も行って参ります。
そんな日々を送るツガエですが、ここらで意味もなく、ひと月ほどお休みをいただこうと思いました。250回でも300回でもなく、なんともキリの悪い、中途半端な回数ではございますが、思い立ったが吉日でございます。
性懲りもせず、12月にはシーズン2として再開する予定でございます。バージョンアップとか、スケールアップということはまったくございませんのでご期待は無用でございます。これまで同様、皆さまのほんのお暇つぶしの読み物として細々やらせていただければ幸いです。
それにしても273回という数字があまりにも半端なので「273」に何か意味はないかと調べましたところ、なんと「絶対温度」がマイナス273℃ということを発見いたしました。原子や分子すらも熱運動をしない「これより低い温度はない」という温度の下限でございます。ひとときのお休みをいただくのに相応しい数字のようで、この発見がなんだかうれしくなったツガエでございます。それでは今回はこの辺で!
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ
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「兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし」は、しばらく休載します。再開は12月の予定です。楽しみにお待ちください!