西城秀樹さんの闘病・介護…共に歩んだ妻・美紀さんが明かす家族のこと<第1回>
一昨年5月、惜しまれながらこの世を去った西城秀樹さん(享年63)。同年秋には、妻の木本美紀さんが、これまで伏せられてきた秀樹さんの病状や闘病を支えてきた家族の思いを綴った著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館)が10万部を超えるベストセラーとなり話題に。
当初、秀樹さんのファンの人の思いを大切したいと考えていた美紀さんは、出版に際し迷いもあったという。
しかし、本を読んだ人たちから今も届く“病気でつらいこともあるが、元気をもらえた”“本当の病状を知って改めて秀樹さんの精神力と努力に感動した”等の言葉に触れ、改めて、「私の話が、誰かのお役に立つことがあるのかもしれない」という思いを新たにしたと語る。
このたび、美紀さんに、秀樹さんと共に歩いた日々、特に闘病や介護について詳しくお話を伺うことができた。
最愛の夫との日々を思い出すことは、まだつらい作業であるはず。しかし、そんな中、美紀さんは、さまざまなエピソードを振り返りながら、一言一言丁寧にゆっくりと話してくれた。
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介護しているという意識はもっていなかった
秀樹さんが脳梗塞を起こしたことが初めて報道されたのは2003年のこと。だが、実際は最初の発症が2001年の秋だったことは著書で明かされた。それから17年にわたる秀樹さんの闘病をずっと支えてきた美紀さん。
「介護といわれても、私自身、介護をしているという意識をもったことは一度もありませんでした。例えば、家族が風邪を引いたときに、どうしたら少しでも気分がよくなるだろうかとか、早く治るために何ができるだろうかと考えますよね?秀樹さんにも、いつもそういう気持ちで、その都度、私にできることを続けてきただけなんですよ」
年子の3人の子どもたちと5人での暮らし。子どもたちが小さいころから、「パパが一番」というのが当たり前の家族だったという。
「パパには焼き魚の骨を取って、身をご飯に載せてあげる。昭和のスターって感じですよね?(笑い)。結婚当初からずっと、そういう風にしてきたので、子どもが生まれた後も、まずパパのお魚の骨を、となるのです。後回しになった子どもたちは、いつのまにか自分で骨を取るようになって。今では、お魚をとても上手に食べるんですよ」
大阪出身の美紀さんは、芸能界とは無縁の生活を送ってきた。スーパーアイドルの元に嫁ぎ、最初は戸惑うことも多かったそうだ。
「私の話す関西弁がキツく聞こえてしまうこともあったらしく、『そういうときには、こんな風に言った方がいいよ』と秀樹さんにしかられたこともあります。言葉遣いだけでなく、おもてなしの基礎や人への気遣いなど、秀樹さんにはいろいろなことを教えてもらいました。芸能界で生きている秀樹さんは、周りの方々にこんなにも気を配っているのだと驚いたことを覚えています。そのお陰で少しずつ、秀樹さんが家で安らげる環境作りを考えるようになったのだと思いますね」