西城秀樹さんの闘病・介護…共に歩んだ妻・美紀さんが明かす家族のこと<第1回>
脳梗塞を8回も繰り返し、そのたびに入院治療を続けてきた秀樹さん。体調管理にも人一倍気を使った。食事にも気を配り、薬も欠かさずのんだ。少しでも体調に変化を感じるとすぐに病院に行く。そうやって病気とずっと寄り添いながら、新たな仕事にもチャレンジしてきたが、2011年12月、世間には“2度目”の脳梗塞と伝えられた再発の後、しばらくしてから右半身の麻痺が重くなってきた。
「この頃から、急な外出は減りましたね。また、子どもたちが中学校にあがる2016年春ごろからは、急激に口数も少なくなってきて…。でも、私は意識的に秀樹さんに話しかけるようにしました。お医者さまからも会話することは、脳を刺激して活性化すると聞いていましたので、何気ないこともとりとめなく話し続けました。もちろん、秀樹さんにも話して欲しいので、『私はこう思うけど、パパはどう?』など意見を求めたり、『子どもの受験が終わったら、どこに行こうか、あそこに行きたいね』などと近い将来の目標も織り交ぜて。そういう毎日の会話を大切にしました」
今では全てがかけがえのない思い出ですね、と美紀さんは遠くを見つめた。
大切な家族の願いをどうやって実現するか…
「何事もまず捉え方が大事かなと思います。介護だと大変、つらいと思ってしまいがちかもしれないですが、大切な家族の気持ちや願いをどうやったら実現できるか、そんな風に考えることで私自身も常に前向きでいられたと思うんです。
たぶん、私って楽天家なんですよね。もし、パパが昔のように元気な姿に戻れなくて、芸能界のお仕事が少なくなっていっても、家族みんなで仲良く暮らせばいいや、くらいに思っちゃうんです。もちろん、心配はつきませんでした。でも、子どもたちを不安にさせたくなかったから、家では、いつも前向きなことを話すように心がけていましたね。
今思えば、亡くなる直前まで、ずっとリハビリを頑張っていた秀樹さんの姿に、私自身も励まされていたのかもしれません。支えることで常に前を向き続けることができたのかな」
とはいえ、3人の年子の育児をしながらの日常は、いろんな葛藤や悩みもあったという。
次回は、お子さんたちとの関わり方についてお話を伺う。
→妻が明かす西城秀樹さんが遺した宝物、子供たちの想い【第2回】
木本美紀
1972年大阪生まれ。近畿大学理工学部土木工学科卒業後、建設コンサルタント会社に就職し、結婚を機に退職。2001年に西城秀樹と入籍し、1女2男と3人の母に。夫秀樹さんとの出会いから闘病生活、看取るまでを克明に綴った著書『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館)は10万部を超えるベストセラーに。
撮影/浅野剛 取材・文/介護ポストセブン編集部
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