急性リンパ性白血病を克服した友寄蓮さんが明かす壮絶な副作用と炎上体験
競泳の池江璃花子さんが、無事に退院したことを報告した。
池江さんと同じ病気、急性リンパ性白血病と高校2年生で診断された友寄蓮さん(24才)。多感な思春期に経験した長い入院生活では、薬の副作用による脱毛や浮腫などで容姿も大きく変化していた。その壮絶な経験をメディアに公表すると炎上…。それでもなぜ彼女は病について語り続けるのか。白血病発症から8年が経ったいま、思うこととは。
白血病で闘病中の姿を公開する理由とは
「薬の副作用で顔がパンパンになって、髪も抜けて、鏡を見てこれが自分なの? 元の姿に戻れるの? っていつも不安でした。そもそも白血病は治らないと思っている人も多いので、どんな風に治っていくのか、その過程を見てもらえば、いま闘病している人たちの参考になると思ったんです」
一語一語丁寧にゆっくりと語る友寄さん。ふんわりした空気をまとっているが、瞳の奥に強い力を宿している。
友寄さんは、タレント養成所に通っていた16才のときに急性リンパ性白血病を発症。1年4か月の闘病生活を経て、18才で芸能活動を本格的に開始した。
「この経験を伝えるためには、芸能活動は目的というより手段でした。有名になる必要があるなって思って」と志を胸に秘め、病気のことを話す機会を模索していた。
19才のときに新聞記事で初めて病を告白。今年、池江璃花子さんの白血病が報じられた際にテレビ出演すると、売名行為だと言われ炎上を経験した。
「世間の反応には驚きましたが、私の過去や経験は変えられません。押し付けるつもりはないのですが、同じ病の人たちに、自分が元気なるまでの経緯を参考にしてもらえたらいいなって、その思いはゆるぎないもの。公開している人はいないなら、私が伝えていくべきだと思いました」
なぜ病気の私を生んだの?母を責めた
急性リンパ性白血病は、小児がんの中で最も多いとされる血液のがんだ。治療法の進歩により、現在では死に至る病気ではなくなったが、その治療には複数の抗がん剤を使用するため、薬による副作用は壮絶だった。あまりの辛さに母親を責めてしまったこともあったという。
「特に辛かったのは口内炎でした。免疫力が下がっているから、たった1回歯磨きをさぼっただけで、口の中に雑菌が広がって、口内炎で口の中がぶくぶくに腫れあがってしまったんです。膿のようなものがのどに詰まって眠れないし、食べられない。痛みで声も出せないし、痛みと点滴で意識はぼんやりしていて、ベッドの上で自分から管が10本くらいつながっているのを眺めていたら、もう自分の意志で生きているわけじゃないなって思って…」
≪なぜ病気の私を生んだの?≫
≪こんなに辛いのはお母さんが健康に生んでくれなかったからだ≫
口内炎が化膿して言葉をうまく話せない友寄さんは、そうノートに書きなぐって母親に見せた。
「母はじっと黙っていました。いま思えばすごく傷ついた顔をしていたと思うんですが、決して涙を見せませんでした。
あるとき同じ病で入院していた中学生の女の子が、『病気になったのが私でよかった。こんなに辛い思いを大切な人にさせられないよ。見ていられないもん、我慢ができる自分でよかった』って言ったんです。それを聞いて、病気になったのは母親のせいとか、人のせいにしていた自分が恥ずかしくなったのを覚えています」
思春期で経験した闘病中のことは、いまでは少しずつ記憶が薄れているという。
「苦しかった経験だけを語っても、同じような状況の人たちを不安にさせて終わっちゃうなと思ったんです。私が聞いてほしいのは、苦しかった経験よりも、それを踏まえたうえで、いまをどう生きるのかっていう、未来に向けたメッセージだと気が付いたんです」
●「白血病治療で髪が抜けた友寄蓮さんを絶望から救った言葉【第2回】」を読む
●「AYA世代で白血病を経験した友寄蓮さんが伝えたいこと【第3回】」を読む
友寄蓮(ともよせれん)
1995年3月29日生まれ。高校2年で急性リンパ性白血病に罹り、闘病生活を経て18才で芸能界デビュー。『Emotional Beat姫ラジ』(レインボータウンFM)でパーソナリティーを務めるほか、ラジオ・テレビで活動中。彩の国けんけつ大使を務める他、日本赤十字社「みんなの献血」プロジェクトでは、全国各地の高校を回り、献血の重要性を伝えている。
撮影/菅井淳子 取材・文/介護ポストセブン編集部
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