白血病治療で髪が抜けた友寄蓮さんを絶望から救った言葉
16才のとき急性リンパ性白血病に罹ったタレントの友寄蓮さん。薬の副作用で顔が腫れ、髪が抜けていった。病気になる前の自分の顔を忘れてしまうほどの変わりように、ベッドから起き上がれなくなってしまう。そんな彼女を変えた言葉とは。
→前回の記事:「急性リンパ性白血病を克服した友寄蓮さんが明かす壮絶な副作用と炎上体験」を読む
副作用で髪が抜け自分の顔が思い出せない
「(抗がん剤の副作用で)髪の毛が抜けて、顔もまんまるになって、自分の顔が全然思い出せなくなってしまったんです。鏡を見るたびに、ああ病気の人がここにいるなって、他人みたいな気がしていました。震える手でペンを持ってノートに、『(治療を)やめたい』とか『死にたい』とか、マイナスな言葉をびっしり書きなぐっていました。
水色のキャップを被ってトイレに入ったら、知らない女の人がキャッごめんなさいと言ってトイレを出ていった。男性に間違えられたんですね。それからはピンク色のパジャマを着ていました。そんなことにも気を使わなければならなのが苦しくて…」
やがて闘病生活に疲れ切り、1日中ベッドに横になって起き上がれなくなってしまう。そんなとき、女性の主治医に言われた言葉がある。
「病気だからって1日中パジャマでいないで、生活にメリハリをつけなさい。朝起きたら服に着替えて、お化粧が好きならメイクもしなさいと言われました。その言葉を聞いたあとから、母に洋服を買ってきてもらって着替えるようになって、少しずつ元気が出てきたんです。ウィッグも何種類かデザイン違いでつけてみたりしていました」
入院して半年過ぎたころから、オシャレを楽しむことで少しずつ明るさを取り戻していった。
「ずっと人目を避けていたのが、前を向いて人と顔を合わせられるようになって、病棟の子供たちにオシャレなお姉さんて言われた。男か女かもわからなかったのに、お姉さんって言ってもらえたのがすごく嬉しかったのを覚えています。医療で病気は治せても、見た目のケアや精神面のサポートまではなかなかしてもらえない。見た目の変化というのは精神をものすごく左右しましたね」
病気の人にかける言葉は「頑張れ」「大丈夫?」じゃない方がいいかも
周りの人からかけられた言葉にもさまざまな感じ方をしたという。
「頑張れという言葉は、前向きなときはパワーになるけど、辛いときに言われると追いつめられる表現になることもありますね。気持ちに余裕があれば、『頑張れ』という言葉の奥にあるのは、思いやりだなってわかるんですけど、病気のときは精神的にまいっているから、声をかけてくれた相手に辛く当たってしまうこともありました。応援するときは、相手の状態をよく見て声をかけることは大事だし、受け取る側はその言葉だけにとらわれないようにしないと」
闘病中の人にどんな言葉をかけたらいいのだろうと尋ねると――。
「『大丈夫?』と聞かれると、病気でも『大丈夫』って答えるしかないんです。『いま何をしてほしい?』とか、『何をしたら助かる?』って聞いてくれると具体的に答えやすかったかも。『退院したらディズニーランドに行こうね』って言われたときは、この先の未来もあるんだって、それが生きるよりどころになりました」
病気でも前を向いて生きるための未来日記
主治医の言葉を信じ、抗がん剤治療の苦しい副作用もリハビリも、ひとつずつ乗り越えていった。
入院中は、未来の自分に語りかけるようにノートに書いた。
≪ディズニーランドは行きましたか?≫
≪たこ焼きは食べましたか?≫
≪お祭りは行きましたか?≫
≪浴衣は着ましたか?≫
「あの頃の自分に『大丈夫、全部できている。未来のあなたは笑っているよ』って伝えたいですね」
次回に続く…(次回は12月31日公開予定)
友寄蓮(ともよせれん)
1995年3月29日生まれ。高校2年で急性リンパ性白血病に罹り、闘病生活を経て18才で芸能界デビュー。『Emotional Beat姫ラジ』(レインボータウンFM)でパーソナリティーを務めるほか、ラジオ・テレビで活動中。彩の国けんけつ大使を務める他、日本赤十字社「みんなの献血」プロジェクトでは、全国各地の高校を回り、献血の重要性を伝えている。
撮影/菅井淳子 取材・文/介護ポストセブン編集部