連載

【世界の介護】「最期まで自分らしく」を実現する豪州の緩和ケア

 高齢化が進む日本。その対策は急務である。海外、特に欧米では、日本よりも早くから介護問題に取り組み、すでに様々なサービスを備えた介護施設が展開されている。

 欧米諸国の高齢者施設を取材してきた、ジャーナリストで社会福祉士の資格を持つ殿井悠子さんが、各国でユニークな取り組みをしている高齢者施設を紹介するシリーズ。今回は、オーストラリアのホスピス(終末期の緩和ケア)を紹介する。

入居者の”死”に対する負のイメージを変える

 オーストラリアの名所の一つであるゴールドコーストの近くにある、イアンさん夫婦が経営する『ホープウェルホスピス』。医師であり牧師でもあるイアン・メイバーさんは、穏やかに話す。

「映画やドラマでは、死ぬことは痛くて恐いものとして表現されることが多いでしょう? でも本来“死”とは、生きていれば自然に迎えるもの。それ自体には痛みや恐怖はないのです。ご家族や入居者の方の死に対する負のイメージを変えていくことが、私たちの務めです」(イアンさん、以下「 」内は同)

 オーストラリアでは、1980年頃からホスピス設立の気運が高まってきた。その背景には、キリスト教団体による終末期医療の長い歴史がある。ホスピスの大きな役割は、病により余命が限られた人が最期を穏やかに過ごすために、延命措置や医療行為を行わず痛みを取り除く治療を施すことだ。

「病院のチャペルで働いていた妻が、訪れる患者さんの『家に帰れない』、『一人で寂しい』という訴えに胸を痛め、そういう人たちのために家族のような場所を作りたいと、1994年にここを立ち上げました。だから、住人はみんな私たちの家族。一番大切にしている想いです」

 天窓から降り注ぐ陽射しを浴びながら、イアンさんの案内に導かれて、ホールを抜けてダイニングルームへと向かう。カウンターキッチンでは、シェフのナオミさんが昼食のパイを焼いている。

「味はもちろんだけど、見た目も美味しそうでしょ?」と、微笑むナオミさん。毎日の食事のメニューは、入居者全員の好き嫌いをすべて聞いた上で考えているが、「少量でいい」「ご馳走はいらない」という人が多いという。テーブルの上には、焼き立てのクッキーとバナナケーキが常に置いてある。3か月前に入居したというバジルさんは、「ナオミの料理は絶品だよ。ダイニングでカウンター越しに彼女と話していると、キッチンでお母さんとおしゃべりをしている気分になれるんだ」と、嬉しそうに話した。

小規模ホームだからこそ実現できる理念

 居室は個室タイプで全8室。入居費用は400豪ドル(約3万5000円)からで、ベッド利用料(食費など含む)は1日約550豪ドル(約4万9000円)。入居時の基本条件は、これらを政府の援助と個人保険でまかなえることだ。あわせて、専門医から「余命3か月以内」という診断書も必要となる。

 スタッフは常時、看護師と介護師の2名が駐在。治療は必要とされないので、看護師はモルヒネや痛み止めなど、物理的な痛みをコントロールする薬剤の投与が主な仕事となる。庭の手入れや入浴・食事介助など、人手が足りない部分はボランティアスタッフが支える。ユニフォームはみんなとてもカジュアルであることも特長だ。今後、ホスピスのニーズが増えてもこの形態を変えるつもりはないとのこと。

 ホープウェルホスピスの周辺は閑静なリゾート街で、チャリティ活動も活発な地域だ。

「痛みを和らげることが目的のホスピスだからこそ、自分の家のように穏やかに日々を過ごして欲しいのです。それには、これくらいの規模が望ましい。また、ボランティアスタッフに対しては、心のケアの教育をしっかり行います」

”グリーフケア研修”を受けたボランティアスタッフによる支援

 ボランティアスタッフは入居者と会う前に、トレーニングルームで42時間の”グリーフケア研修”を受ける。グリーフケアとは、入居者本人やそのパートナーが死に直面したとき悲しみを乗り越えられるよう、そばに寄り添い支援すること。

「“痛み”という感情は、心の中から生まれて来ることが多いものです。悲しいときはなぜ悲しいのかを、誰かに話して外に吐き出すことで、その感情に客観的に向き合うことが、現実を受け止める最初の作業になります。死の存在を隠すのではなく、“受け止める”という経験が必要なのです。スタッフがこの一連の過程をサポートすることは、“励ます”行為よりも大事なこと。その後は、一日一日を楽しむことに重きを置くようにしていくと、心が少しずつ楽になってきます。グリーフケアは、これを手助けするものなのです」

国をあげての緩和ケア政策

 オーストラリアでは「自分の人生は最期まで、自分で責任をもつ」という意識が発達している。これはイギリスが植民地化するにあたり、開拓の中で培われた精神と考えられている。また、宗教によって組織化された巨大な慈善団体が発展しているのも特徴的で、中でもキリスト教の組織から育ったホスピタリティあふれるホスピスケアは、世界中からの視察が絶えないという。ホープウェルホスピスでも、小規模で行き届いたサービスを継続するために、足りない資金は寄付やチャリティから得ている。

 治療を望まず終末を迎えるこのホスピスは、アットホームな家庭を思わす家具の配置や色彩心理まで考えられた空間が心を落ち着かせてくれるせいだろうか、取材する私たちも思わず長居してしまった。すべてを受け入れているかのようなスタッフと入居者たちの穏やかな会話が、ホームに静かな時を刻む。

「日本ホスピス緩和ケア協会」の調べによると、日本で緩和ケア病棟が認定されている病院は約386施設だ。厚生労働省の2016年の「医療施設(動態)調査・病院報告の概況」によると、「療養病床を有する病院」は 3827 施設。すると、緩和ケアを行っているところはわずか1割程度ということになる。

 緩和ケアについてオーストラリアでは、国がその重要性に早くから注目して予算を組み、医療と連携しながらバックアップを行ってきた。2000年には、国と州の政府機関、緩和ケア従事者が連携して『The National Palliative Care Strategy』を打ち出した。これは、オーストラリア全土に適用される緩和ケアの方針と戦略とサービスの開発と実現に加え、死を目前にしたすべての人が利用可能な質の高い緩和ケアの共有を目指すというもの。

 2004年には連邦政府保健・発育省が、高齢者施設で緩和ケアを取り入れられるよう教育基準を作成し、全施設に通達。さらに、コミュニティナースや家庭医といった地域医療や高齢者医療に携わるスタッフに対し、緩和ケアスキルを向上させるプログラムの研修を積極的に実施している。

 今回の取材で、ホスピスケアで何より大切なのは入居者やその家族、関わるスタッフが「死とどう向き合うのか」を共有し、それをサービスとして実現することだと感じた。日本でもこれから、スタッフ全員が「死とは何か? それに対して自分たちは何ができるのか」について統一した考えを持ち、個人の人生に寄り添っていける施設へのニーズが高まっていくことだろう。それにはオーストラリアのように、国をあげての緩和ケア教育を推進していく必要がある。

※為替レートは2017年10月19日現在

撮影/長谷川 潤 取材・文/殿井悠子
取材協力/オリックス・リビング株式会社
「ホープウェルホスピス」公式サイト

殿井悠子(とのい・ちかこ)

ディレクター&ライター。奈良女子大学大学院人間文化研究科博士前期課程修了。社会福祉士の資格を持つ。有料老人ホームでケースワーカーを勤めた後、編集プロダクションへ。2007年よりイギリス、フランス、ハワイ、アメリカ西海岸、オーストラリア、ドイツ、オランダ、デンマーク、スウェーデンの高齢者施設を取材。季刊広報誌『美空』(オリックス・リビング)にて、海外施設の紹介記事を連載中。2016年、編集プロダクション『noi』 (http://noi.co.jp/)を設立。同年、編集・ライティングを担当した『龍岡会の考える 介護のあたりまえ』(建築画報社)が、年鑑『Graphic Design in Japan 2017』に入選。2017年6月、東京大学高齢社会研究機構の全体会で「ヨーロッパに見るユニークな介護施設を語る」をテーマに講演。

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