《母は”別の人”になった》いとうまい子が明かす認知症の母親の介護 深夜のトイレトラブルで向き合い方が変化「私への“挑戦状”のように感じた。腹を立てても意味がないから、どう対応するかを考えさせられた」
1980年代にトップアイドルとして一世を風靡し、現在は女優、実業家、そして大学教授としても活躍するいとうまい子さん(61歳)。多忙な日々を送る中、2022年から間質性肺炎と認知症を患う母親の介護に直面した。訪問介護やケアマネジャーなどの力を借りながら仕事との両立を試行錯誤したという。母親は2023年2月他界した。当時の葛藤や、看取りの後悔について話を伺った。【全3回の第2回】
散歩中の呼吸困難から始まった、突然の介護生活
――お母様の介護に直面した当時の状況を教えてください。
いとうさん:最初は母と一緒に散歩に出たときでした。呼吸困難になってしまって、ゆっくり歩いてもすごくしんどそうだったんです。すぐに知り合いの医師に診てもらうと、「1日遅れていたら亡くなっていたかもしれない」と言われ、総合病院を紹介されてそのまま入院となりました。間質性肺炎と、心臓に水がたまる病気を併発していました。
2か月ほど入院して水を抜く治療を受けたら、少しずつ回復してきました。ただ、入院生活で筋力が衰えてしまったこともあり、退院後は1人暮らしの母の家に通って様子を見る生活が始まりました。
ですから、最初の5か月ほどは通いの介護でした。ところが、母が家の中で転倒して手首を骨折してしまい、1人だけでは生活が難しくなってきました。そこからケアマネジャーさんに入っていただき、スケジュールを立てて本格的な介護が始まりました。
――ご自身の意識が変わった、深夜のトイレトラブルがあったそうですね。
いとうさん:それまでも、約束を忘れてしまったり、粗相をしてしまったりということはありました。「なんでできないの」と強く言ってしまったこともあったんです。でも、ある夜、実家に行ったら、母がおむつをトイレに流してしまい水があふれ返っていました。
それを見た時、「これは言って分かることじゃないんだ」と気づきました。ある意味で、私への“挑戦状”のように感じたんです。腹を立てても意味がないから、起きてしまった事態に自分の気持ちをどう持っていき、どう対応するかを考えさせられました。
そこまでは、できないなりに自分の衰えと付き合いながら生活をしている母として受け入れていました。でも、トイレにおむつを流すというのは、もう私の知っている母ではありません。まったく別の人になってしまったんだと、認知症の進行を思い知らされました。
深夜なので業者を呼べば何十万円かかるか分かりません。量販店でトイレの詰まりを直すラバーカップを買ってきてもダメで、最後は自分で手をつっこんで掻き出しました。そこまでやると、もう完全に吹っ切れます。あたふたしても仕方ない。次に同じことが起きるなら、前もってどう手を打つか考えようと、先回りして対策を考えるようになりました。
介護のプロと連携し、自分は調整役に徹する
――介護における壁や困難はなんでしたか?
いとうさん:一番の壁は、私自身の考え方でした。母はしっかりしているのが普通であるという思い込みです。どこかで、自分の親は認知症にはならないと信じたかったんでしょうね。言えば分かってくれるはずだという期待を裏切られたとき、私自身が変わるしかないんだと気づくまでの過程が一番の壁だった気がします。
それ以上につらかったのは、母の心のケアでした。母は生前、「認知症になったら嫌だ」とずっと恐れていたんです。母が一番望まない状態に突入していく姿を見るのは、本当につらいものがありました。
――女優業や大学の研究、会社経営と介護の両立はどのようにされていたのでしょうか。
いとうさん:周りの家族には頼らず、すべて介護のプロの方々にお願いしました。介護って、プロ以外はみんな素人じゃないですか。私が忙しいからといって、夫や知人に手伝ってもらおうとしても、専門知識がないから、絶対に悩ませてしまうと思ったんです。だから基本的にはケアマネジャーさんやヘルパーさんなど、専門の方々にサポートをお願いしました。
退院する段階から、ケアマネジャーさんが間に入ってあらゆることを教えてくださり、本当に助けられました。もしその存在を知らなかったら、地獄だったと思います。
私自身が工夫したのは、コミュニケーションのための交換ノートです。ヘルパーさんに「何時に来てこうしました」「薬ものめました」と一言書いてもらうだけで、心配や悩みが消えて、安心感につながりました。私が最初に取り組んだ介護は、ケアマネジャーさんやヘルパーさんとの間に入り、母の現状と私の希望を伝える「調整役」でした。私だけで全部やろうとしたらパンクしていたと思います。
リハビリを待たずに、桜を見せてあげればよかった
――2023年2月にお母様を看取られました。今振り返って後悔していることはありますか?
いとうさん:母はお花を見るのが大好きだったんです。「退院したら桜を見に行こうね」と約束していました。でも、当時の母は歩けず、酸素ボンベも必要でした。だから私は、もう少しリハビリをしてよくなってから行こう、今年は無理でも来年は行ける、と思い込んでしまったんです。
今思えば、車いすをレンタルして、酸素ボンベを積んででも連れて行ってあげればよかったです。心臓の水分が抜けてよくなっていく姿を見ていたので、回復することしか考えていませんでした。あんなにお花が好きだったのに、なんで無理してでも連れて行かなかったのか、今でも心残りです。
看取りの時もそうです。病院から「もう危ないかもしれない」と呼ばれて駆けつけたのですが、母は寝返りを打ったり、ひざを立てたりして、まだ元気そうに見えたんです。お医者さんや看護師さんが気を利かせて席を外してくださり、1時間ほど2人きりだったのに、まだ大丈夫だろうと勝手に思い込んでしまいました。
その後、お医者さんが戻ってきて「もう危ないですよ、手を握ってあげてください」と言われ、手を握ったらあっという間に息を引き取りました。「えっ、嘘でしょ」という感じでした。もっと早く手を握って、「お母さんの娘に生まれて幸せだったよ」と、感謝の気持ちを伝えておけばよかった。元気そうに見えても、逝くときはあっという間です。お医者さんの言うことは正しいんだということを、皆さんにも知っておいていただきたいですね。
◆女優、大学教授、研究者・いとうまい子
いとう・まいこ/1964年8月18日、愛知県生まれ。1982年にミスマガジン初代グランプリを受賞し、翌年アイドル歌手としてデビュー。ドラマ『不良少女とよばれて』などでブレイク。女優、タレントとして活躍する傍ら、2010年に早稲田大学へ入学し、修士課程でロコモティブシンドローム予防ロボットを開発。現在も研究者として活動しつつ、2025年からは情報経営イノベーション専門職大学で教授も務めている。
取材・文/小山内麗香
