【世界の介護】芸術家のためにつくられたドイツの高齢者住宅
高齢化が進む日本。その対策は急務である。海外、特に欧米では、日本よりも早くから介護問題に取り組み、すでに様々なサービスを備えた介護施設が展開されている。
欧米諸国の高齢者施設を取材してきた、ジャーナリストで社会福祉士の資格を持つ殿井悠子さんが、各国でユニークな取り組みをしている高齢者施設を紹介すると同時に、日本のシニアライフの未来を考えていくシリーズ「世界の介護」、今回、紹介してもらうのはドイツの高齢者住宅だ。
* * *
“その夢を失くして、生きてゆけるかどうかで考えなさい”この言葉を述べたゲーテをはじめ、シラーやニーチェなど、数々の偉人が活躍した古典主義の都、ヴァイマル(ワイマールとも言う)。18世紀末から19世紀初頭にかけて、わずか50年ほどの間で彼らによってつくられた建築物や文化は、ユネスコ世界遺産にも登録され、いまでも当時の息吹を感じることができる。この街の中心部から少し離れた小山の頂に、舞台芸術家のためにつくられた高齢者住宅「マリー・ゼーバッハ」がある。鳥のさえずりがこだまする、奥深い緑の中だ。
入居者と音大生が一緒に演奏も
マリー・ゼーバッハ所長のグナー・ピルズさんが、施設の特色を説明してくれた。
「舞台仕事で転々として家族をつくることができない、経済状況が厳しいといった事情を抱える14人の舞台芸術家のために、1895年当時ドイツで有名だった女優のマリー・ゼーバッハが、彼らの“終の棲家”として設立したのです」
ピルズさんに導かれて、まずは200人収容のコンサートホールへ向かう。ステージではピアノの名器スタンウェイが存在感を放っている。
「みなさん楽器を持ってご入居されるので、一時はグランドピアノが4台あったこともあります。このホールでは、クラシックコンサートや合唱、ミサなど、1か月間に15プログラムの演目を開催しているんですよ」
近隣の音大生からプロの演奏家まで、ボランティアで演奏にやって来るという。
「もちろん、ご入居者もプロばかりなので舞台に立ちます。音楽家に憧れを抱く小学生たちと一緒に、一年かけて舞台づくりをすることも。大道具までみんなで手作りして、日々歌の練習を重ねるのです。発表会はいつも大盛況ですよ」
このコンサートホールでは、住人が亡くなったときのお別れ会も開かれる。
運営財団が所有している墓地もあり、ひとりの人生を最期まで見届ける万全の体制だ。
館内で出会った俳優たち
ホールを出て、自然光が差し込むギャラリーを歩いていると、美容院帰りのひとりの女性と出会った。この施設に一番長く住んでいる、元俳優のギッタ・クローンさんだ。
「見学に訪れたとき、同時に3つのフロアから声をかけられたわ。夫の知り合いだった女優や、ドレスデンで一緒に舞台に立ったテノール歌手と再会したの。試食したランチには大好きなニシンが出たし、ここに住んだら楽しそうだな、と思って入居を決めたのよ」
98歳になる現在も自立して暮らしているギッタさん。彼女の居室を訪問させてもらうことにした。
「演劇関係はラフな人が多いから部屋も汚いわよ」と案内された部屋の壁には、彼女が50歳のころ『ドリアン・グレイの肖像』の舞台でアガタ役を演じた大きなポスターが貼ってある。
「身も心も劇場に捧げてきたわ。歳を“とる”のは自然な現象で悪いことではないの。問題なのは、歳を“とった”と感じること。要は何でも、気の持ちようなのよ」
ギッタさんの会話につい引き込まれ、気がつけば正午。ピルズさんに昼食をすすめられてレストランに向かう。この日の昼食はチーズとネギのスープ、それにパンとデザートがついて550kcalと、とてもヘルシー。ここで一人の男性に話しかけられた。2006年に入居したというペーター・バウマンさん。「チューリンゲン出身の女性に恋をして、彼女を追いかけてこの地へ来たんだよ」とのこと。舞台に立つ夢を諦められず、小麦を製粉する職人から一転、演劇学校に通い、俳優の道へ。現在も4本の映画と演劇の仕事で、多忙な日々を送っていると話す。
本であふれかえる、書斎のような部屋で暮らすペーターさん。一日のお楽しみは、窓際で日光浴をしながらラテンアメリカ文学を読むこと。
「ここでの暮らしは最高だ。夢と好奇心がある若者と触れ合う機会があるので、僕もいつまでも若い気持ちでいられる。舞台で大きな声も出せるから、ストレスもたまらない(笑い)。ゲーテはこういっていたよ。“歳をとると、人はある一定のレベルで意識を止めなければならない”ってね」