「健康は他者とのかかわりにも影響を受ける」世界的な長寿研究の第一人者が解説する“社会的孤立”と健康の関係
ほとんどの人にとって、家族と友人は人生を価値あるものにしてくれる。その社会的な絆の強さは認知機能や病気のリスク、長寿にも結びついている。人間はなぜ「つながり」を必要とするのか。
世界的な長寿研究の第一人者、スタンフォード大学長寿研究所所長のローラ・L・カーステンセン博士が、加齢にまつわる神話と誤解を解き明かした『スタンフォード式 人生のよりよき科学』(サンマーク出版)より一部抜粋、再構成してお届けする。
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人間はつながりたい社会的存在
社会的であることは、人間の本質だ。他者とつながりたいという強い願いは、私たちのなかに深く組み込まれている。ただ生き残るだけでも、他者とのかかわり方に左右されるからだ。それは人類がアフリカのサバンナで20〜30人の小さな集落を形成して暮らし、大人が若者の命を守っていたころからそうだった。新生児は、少なくとも1人の大人がつきっきりで世話をしなければ、ものの数時間で死んでしまう。幼い子どもの笑顔は心を溶かし、深夜の授乳やおむつ交換のストレスにもかかわらず、大人は世話を焼きつづける。
渋滞に巻き込まれたとき、前の車に「It Takes a Village to Raise a Child(1人の子どもを育てるには村全体の協力が必要だ)」というステッカーが貼ってあるのを見たことがあるかもしれない。でも実際には、子どもが育ったあとも、その「村」にずっと見守ってもらう必要がある。労働を分担したり、出産や育児を手伝ってもらったり、病気やけがの際に助けてもらったり、あるいは蓄積した知識とスキルを次代に伝えたりするには、大人になっても他者が必要になる。単独行動をとる人や、強いつながりをつくれなかった人が、現代の私たちの祖先である可能性は低い。
私たちは、大切にしてくれる人を大切にする。しかし、誰かの世話をする本能は、血のつながった親戚だけに働くほど限定的ではない。公園で1人で遊んでいる小さな男の子が転んで膝をすりむいたら、近くにいる大人はほぼ全員がその子に目を向け、大丈夫かと心配するに違いない。それは自動的に生じる反応だ。
自分と直接関係のないような出来事であっても、私たちは他者に引きつけられる。たとえば、交通事故を目撃したら、道端で隣に立っている見ず知らずの人に話しかけるかもしれない。他人同士であっても、これはめったに起こらない不運だと言い合ったり、被害者の自業自得だなどと語り合ったりして、世界は予測とコントロールが可能なものだと互いを安心させることができる。
非常時には本能が結束を促す
2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起こった日にニューヨーク市に住んでいた人なら、きっと覚えているだろう。あの日を境に、街じゅうの人たちが互いに強いつながりを感じるようになった。近所にいる足腰の弱い人の安否を確認し、耳を傾ける気のある人がいれば誰とでも情報交換をした。しばらくのあいだ、ニューヨークの住民は特別に優しく、辛抱強く、朗らかだった。外出中に誰に話しかけても、仲のいい友人のような答えが返ってきた。
教会やシナゴーグはどんどん人であふれていったが、集まった人たちは苛立つのではなく安心した。一緒に耐えたほうがうまくやっていけると、本能的に理解していたのだ。ニューヨークで隣人らしいふるまいが急激に広まったこの現象について科学者は、それがナショナリズムの影響で生じたのではなく、私たちの根本的欲求が私たち自身のために結束を促したのだと分析している。
人類の生存は他者との関係に深く根差している。その絆が揺らぐと、私たちは本能的に反応する。ごく幼い子どもでさえ、暗黙の社会契約が存在することを理解している。オハイオ州立大学のスーザン・ジョンソン教授は、1歳児がすでに社会的関係の仕組みに関してある程度理解していることを示した。ジョンソンは巧みな実験を行い、大きな図形と小さな図形が画面上で動くアニメーション動画を、被験者となる数名の1歳児に見せた。
たんなる抽象的な図形にもかかわらず、被験者たちは図形の動きにストーリーを見いだした。ある場面では、小さな図形がガタガタと揺れて音を発し、大きな図形は小さな図形に近づかずに離れていってしまった。大きな図形が、悲しむ子どもに駆け寄る大人のように小さな図形に近づかなかったとき、被験者たちは何かがおかしいと感じ、目を丸くして画面に集中した。言葉もしゃべれず、歩けもしないのに、高度な社会システムの初歩的な知識があることを示したのだ。
