倉田真由美さん「すい臓がんの夫と余命宣告後の日常」Vol.79「生涯、胸に刻まれる言葉」
漫画家の倉田真由美さんは、夫を亡くした1年前に父親との別れも経験している。愛する家族の不在には、なかなか慣れることができないという。親しい友と「失った人を想う」ことについて、話したときのエピソード。
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。新著『抗がん剤を使わなかった夫』(古書みつけ)が発売中。
女友達と食事をしたときのこと
親しい女友だちと食事をしている時に、「亡くして一年以上経つけどまだ夫の不在に慣れない。思い出したら泣いてしまう」という話をしました。
「時間薬というけど、いつ頃慣れるんだろう」
私が言うと、
「一年なんてまだ全然だよ」
彼女は答えました。「私は父親亡くして10年経つけど、7年目くらいにようやく普通に思い出せるようになったよ」
7年…想像以上の長さです。
「お父さんのこと、好きだったんだね」
私も父を3年ほど前に亡くしましたが、夫を偲ぶようには父のことを思えていません。
私が子どもの頃、両親はしばしば喧嘩をしていました。親の諍いは子どもにとってつらいものです。特に夜中の喧嘩が嫌で、私と妹は両親の喧嘩が始まると布団を被って早く終わってくれるようにじっと身を潜めていました。私が成人してからは、私自身も父と深刻な大喧嘩を経験しています。
「そうね。やっぱり思い出すのは、いいとこだよね。たまちゃん(彼女は私のことをこう呼ぶ)もそうでしょ?」
父について思い出す時は苦しい思い出もついてきてしまいますが、実はしんどかったところすべてを凌駕してしまうほど、私の心に残っている父の言葉があります。
コロナ禍、父に言われた言葉
コロナ禍、県をまたぐ移動を快く思われない時期のこと。仕事で久しぶりの帰省をし、「ただいま」と言いながら実家のリビングに顔を出すと、いつもの席に座った父が私を見て言いました。
「おう、帰ったのか」
「うん」
父と話すのは苦手でした。早々に去ろうとすると父が、
「ここはお前の家なんやけんな。いつでも帰って来い」
東京のような都会から来る人は歓迎されない空気があり、母などは私が帰ると「なるべく近所の人に見られないようにね」と言っていたのに。
「いつでも帰って来い」と言う父の言葉に、ぐっと熱いものが込み上げました。私は「うん、ありがとう」と返して、そのままリビングを出ました。
あれが父との最期の会話になりました。
あの時の父の言葉は、親以外の誰にも言われることのない言葉です。父のことを想う時、あの短い会話があったことで随分優しい気持ちになれるような気がします。
「父について一番印象に残っているのは、いいことだよ。苦しい思い出の後に、いい思い出が作れてよかった」
あの出来事以前であれば友だちに父について話す時、随分違ったものであったはずです。ほんの短い言葉でも、生涯胸に刻まれる思い出になることもあります。