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92才芸一筋 現役芸妓・多栄さん「若さの秘訣は7000歩のウオーキングとお座敷でおいしいビールをいただくこと」

 京都市内には五花街(ごかがい)と呼ばれる5つの花街(※)がある。その1つ、宮川町で凜と咲き誇るのが、92才の現役芸妓(げいこ)の多栄(たえ)さんだ。すっと背筋を伸ばして三味線を弾き、ニコニコと客の話にうなずき、おいしそうにビールを飲む姿は、とても90代とは思えない。昭和の高度成長期から現代まで芸一筋に生きてきた“生涯現役芸妓”の素顔とはーー。

※祇園甲部(ぎおんこうぶ)、宮川町、先斗町(ぽんとちょう)、上七軒(かみしちけん)、祇園東(ひがし)

教えてくれた人

多栄さん芸妓

1932年9月11日、大阪府大阪市生まれ。18才で大阪屈指の花街「宗右衛門町」で芸妓となり、42才で一度引退。三味線などを教える仕事をしていたが、84才のときに宮川町で芸妓に復帰し、92才になったいまもお座敷に上がり続けている。

祖母の『お母ちゃんに親孝行したらどうや』が芸妓になるきっかけ

 シミひとつないつやつやの肌に豊かな髪。淡い藤色の着物姿の多栄さんは、「今日はよろしゅうおたの申します」と笑顔で現れた。

 話し始めると、「〜でんがな」「そうおまっせ」など、昔ながらの大阪言葉がちらほら。常に自然な笑顔を絶やさない“愛らしい人”だ。

 大阪市西区で生まれた多栄さんは、金庫製作所を営む祖父母と藤間流の日本舞踊の師匠をしていた母に大事に育てられたという。

「母が踊りの先生をしていたので、私も6才から踊りのお稽古を始めました」(多栄さん・以下同)

 幼少時代は、太平洋戦争の真っ只中だった。

「忘れもしないのが、1945年3月13日の深夜から翌日の未明にかけて起きた、大阪大空襲です。空襲警報が発令されて、家族4人で逃げました。近所に国民学校があって、そこへ逃げ込んだおかげで助かりました」

 家に戻ると自宅は全焼していた。その後、一家は鉄工所を営む祖父の兄を頼り、香川県高松市へ移り住む。

「高松で終戦を迎えて、私はそのまま高松の高校に通ってね、そこでバレーボールを始めて、私は国体の香川代表にもなりましてん。本格的な選手になりたかったから体育大学に進学したいと思っていました。

 それで家族に相談すると、祖母から『お母ちゃんに親孝行したらどうや』って言われたんです。『それはそうやな』と思って、私は働くことに決めました。とはいえ、働くって私は何がしたいんだろうと考えたときに、小さい頃から踊りをやっていたから『京都で舞妓さんになりたい』と思って、京都に行きました」

でしゃばらず、一歩引いておくのが大事

 多栄さんが高校3年生のとき、母は家族の生活を支えるため、ひとり大阪で踊りの師範に復職していた。

「母のツテで京都の花街のお茶屋さんが面接してくれることになったのですが、そのとき私は18才。京都で舞妓さんをするには15才から修業を始めんとあかんと断られてしまって。それで大阪の宗右衛門町(そうえもんちょう)に行くことになったんです」

 そうして多栄さんが門を叩いたのは、大阪ミナミの花街に“その店あり”といわれた料亭「大和屋(やまとや)」だった。

「当時の主人・阪口祐三郎さんに、『お前、何ができんねん』と言われ、『母が踊りの師匠で、私もやっていました』と答えて踊りを披露したら、『いけるな』ということで、そのまま採用してもらえました」

 芸妓として本格的にデビューしたのは、1953年11月。折しも、時代は高度経済成長期に突入し、大阪五大花街の1つである宗右衛門町には、芸妓が1000人以上いたというほど賑わっていた。

「お座敷も大阪の大手企業さんの宴会が多かったですね。私ら“ぺえぺえ”の芸妓は、配膳のお手伝いからお酌、お客さんのお相手、その合間に踊りを披露していました」

 客から酒をすすめられたら「おおきに」といっていただき、当時、大阪名物といわれたシャチホコの真似をする「へらへら踊り」も披露した。

「芸妓としての振る舞いは、お姉さん(先輩芸妓)たちから、きっちり教えてもらいました。特に意地悪されたという感覚はあらしまへん。私は何か言われたとしても根に持たず、『はいはい』と聞いているだけ。何事も苦労と思ったことがないんです」

 芸妓になってしばらくした頃、師匠の言葉で新たな挑戦をすることに。

「大和屋さんの踊りの師匠である、初代・尾上菊之丞さんから、『踊るもんは三味線も弾けんかったらあかん』と言われたんです。それで三味線のお稽古を始めました。年をとったいまでも芸妓でいられるのは、三味線が弾けるからやと思います」

 座敷では、日本を代表するような財界人のトップや政治家を相手にすることもあったという。

「昔の政財界のかたがたは、みなさん芸を嗜(たしな)んでおられたので、芸妓と一緒に踊ったり、三味線を弾かれるかたもいらっしゃいましたよ。それは見事なもので、『私らも頑張らなあかん』と身が引き締まったものです。ただ、芸妓というのは、“でしゃばらず、一歩引いておくのが大事”とも教えられました」

 世話になっていた大和屋の女将は、しつけに厳しい人だったという。

「芸妓は『お客さんの話を“そうでっか〜”とニコニコと聞いてんのが、かわいらしいねんで』と言われていました。あとは、『会社の宴会では端っこに座っている下っ端の人まで大事にすること。いずれその人も偉くならはるんやからな』とも教えられました。その教えはいまでも私の礎(いしずえ)になっています」

84才で「せっかくやったら、京都で芸妓をやりたい」

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