兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第265回 豹変する兄】
認知症の兄を在宅介護するライターのツガエマナミコさん。現在は、歩くことができなくなり寝たきりになった兄は、要介護3から要介護5になり、特別養護老人ホームの入所が決まりました。入所の日までは、ヘルパーさんや訪問看護師さんのサポートも受けながらの日常を送っています。
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良く言えば天然のツンデレ兄
昨日、わたくしが近所の買い物から帰ってきて「ただいま」と兄に顔を見せると「誰?」と真顔で言われて凹みました。「いってらっしゃ~い」と機嫌よく送り出してくれたのに…。しかも「誰?」の次に言った言葉が「オバサン」でした。
「妹捕まえてオバサンとは何ぞや」とムカつきましたが、「いや、確かにオバサンだわ」と思い直し、「オバサン? よかった、お婆さんじゃなくて」と言って二人して笑いました。
兄といると自分がいつまでも若い妹であるように錯覚するのですが、もうお婆さんと言われてもおかしくない年齢と見た目でございました。
近頃兄は、性格が豹変いたします。
オムツ交換されることを拒否することが増えました。右に左に何回も寝返りさせられるのが嫌いでございます。病院やショートステイに行くときにベッドから車イスに移乗させられるのも大嫌いでございます。「ダメ!」と言い始めたら危険なサインで、突如として人格が変わったように「やめろよっ!やめろって言ってんだろバカヤロー!もうぉっ!!!!バカ!」と声を荒げて睨みます。ときに噛みつこうとしたり、殴ろうとしたり、足で蹴ろうとしたりもいたします。
数分前まで「ヤッホー」と笑っていても、何かのきっかけで攻撃的になるのでございます。
「ヤッホー」の中にも楽しくないときの「ヤッホー」があるのかもしれません。
でも攻撃的モードはそう長くは続かず、抵抗されても強行突破したあとは、だいたい大人しくなってくれます。すかさず飲み物などを差し上げてご機嫌を取るのがいつものパターン。
ヘルパーさまにも訪問看護師さまにも「帰れ!」と怒鳴り散らすときがございまして、みなさま「嫌ですよね」「すみませんね」とか「お湯で洗わせていただきますね」と声掛けしながらことを進めてくださって、ありがたいかぎりでございます。
わたくしも兄が声を荒げる度に下手下手で、なんとか鎮静化を図るのですが、その度に「なぜこっちがこんなにへりくだらなければならないのか」と理不尽を感じます。「あの悪態はなんなの!恩知らず」と腹が立ってしまうのです。でも訪問看護師さまは「私たちだってオシモの世話されるのイヤですよね。だから正常な反応だと思います」と言って下さり、介護のお仕事に携わる方々の器の大きさに感銘を受けました。
兄は嫌なことには抵抗したり攻撃したり致しますが、脳が健常な方々は、そうしたくてもじっと我慢でございましょう。オシモの世話などされたくない。でも自分ではどうにもできない。複雑なお気持ちを抑えて「ありがとう」と言わなければならないと思うと、なんと切ないことでございましょう。不快がストレートでわかりやすいという点では、暴れ散らかしてくれたほうが介護者は気楽かもしれません。のど元過ぎればケロッとして「またね~」と言うあたりはひいき目ながら可愛げがございます。これは、もしや「ツンデレ」?
今は攻撃的な面が1で、穏やかな面が9なので「ツンデレ兄さん」と笑えますが、これが2:8になり、3:7になり、やがて逆転して攻撃面が大部分を占めるようになったら…と思うと不安になります。「これ以上、施設でお預かりできません」と言われる事態も考えてしまいます。わたくしができることは、そうならないよう毎日神さま仏さまに祈ることしかございません。どうか兄が凶暴化しませんように…南無南無アーメン。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性61才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現65才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ