芸能人と認知症|つちやかおり、岩佐まり…「私の認知症体験記」
認知症の介護は決して簡単なものではない。しかし、経験者の多くは「楽しむことだ」と口をそろえる。
「母の様子がおかしいと気づいたのは10年ほど前です。長男(布川隼汰)の舞台に呼んだ時、珍しく待ち合わせに遅れた上、知っているはずの知り合いの顔を忘れていた。今考えれば、『あれ?』と思うことはあるのですが、その時は気がつきませんでした」
こう振り返るのは、女優のつちやかおり(54才)。
異変を感じたその当時、母はつちやの父と兄と同居していた。認知症の疑いが出た際、身近な人ほど「そんなはずはない」と認めようとしない傾向にある。つちやの父と兄も「大丈夫」と見て見ぬふりをする日々が続き、いよいよ母を病院に連れて行った頃には、ひとりで外出できないほど病状が悪化していたという。
「その後、父の容体も悪化して、独身の兄がひとりで両親の面倒をみていたのですが、父が他界すると、母の認知症はどんどん進行して、兄に向かって『泥棒!』と声を荒げるようになっていました」(つちや・以下同)
自宅介護の限界を悟ったつちやは、母を施設に入れることを提案し、渋る兄を説得して入居を決めた。やがて、母親はつちやの顔もわからなくなっていった。
「表向きは何ともないふりをしていましたが、私を忘れていく母を見るのは切なくて、つらかった。なんとか自分のことを思い出してもらえないだろうかと思っていました」
もう一度、「お母さん」「かおり」と呼び合いたいと望んだが、残念ながらかなわなかった。
「ここ1年くらいで、やっと、母が笑顔でいてくれるならいいと思えるようになりました。私が母を見てつらいと感じるのは、私だけの気持ちであって、母自身は今の状況を苦しいとは思っていない。無理に思い出そうとさせられることの方が苦痛なはず。だから、何もかも忘れても、母が楽しく幸せだったらそれだけで…と思えるようになりました」
現在、月に1度施設を訪れる彼女が心がけるのは、「母が笑顔でいられる」ことだ。
「母は歌うことが大好きで、私が歌い出すと、一緒に歌うんです。ほかのことは何を言ってもわからないのに。私がドラマデビューした『3年B組金八先生』のテーマ曲『贈る言葉』が好きで、よく歌います。歌ってすごいですね」
病室からは、今日も母娘の歌声が聞こえてくるだろう。
※女性セブン2019年6月20日号
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