父、旅立ちの日の話「信じられないほどあっけなく、せわしかった」【実家は老々介護中 Vol.42】
81才になる父は、がん・認知症・統合失調症と診断され、母が在宅で介護中。美容ライターの私と3歳上の兄は、実家に通って母を手伝っています。最期まで家で過ごすことを希望した両親でしたが、結局、家で看るのが限界になり入院。急性期病院からターミナルケアの病院に転院したところで、父が急変。「ほとんど息をしていない」という知らせが届き急いで病院へ向かいます。
→41話:「転院の翌日に父、急変。とうとう別れのときが来てしまいました」を読む
その後は、息つく間もなく次の準備が押し寄せる
非科学的な話なのですが、父が亡くなった時刻くらいに、私と娘は猛烈な悪寒を感じました。
「急な知らせにびっくりさせないよう、おじいちゃんが挨拶に来たって思ってるよ」と言ってくれる娘。感染症対策が厳しく、父の最期を見届けられなかった代わりに、父がテレパシーを送ってきたのかもしれません。
念じれば返事が届くのかな?アニメじゃあるまいし、とも思うけれど、父にテレパシーを送り返してみました。
「お母さんのことは、私とお兄ちゃんが守るから心配ないよ」
届いたかどうかは、いつか私が天に昇ったとき父に聞こう。届いてるはず、と思いこむだけでちょっと気持ちが落ち着きました。
こちらの心が追いつかない中、 病院からは「最期の診断への立ち会いは、何時に来られますか?」と催促され、実家から職場が近い兄がなかなかつかまらず…。その後の対応を考えると母ひとりでは負担が大きいので、「2時間かかるけど、私が着いてから死亡診断をしてもらいたい」と伝え、病院へ急行しました。
こういうときこそ冷静に。病院へ向かう電車の中で、私はずっと自分に気合を入れていたのですが、実は不安でした。もう目覚めない父の顔を見たらどんな気持ちになるのか、見ないでおきたいような決心がつかないような。
病院に駆け込み父に対面。すでにさまざまな処置は終わり、生き生きした肌色に整えられた父は違和感がなく、なんだかホッとしました。美容の記者をしているとはいえ、エンゼルメイクの威力を感じたのは初めてです。遺された人を安心させるとは新たな発見でした。
「急いで来たから疲れたよねえ」と、私をねぎらってくれる母の様子は意外と普通だったのですが、父のおでこを触りながら、
「ああ、可哀想に。こんなに冷たくなっちゃって。もうダメって言われないから、あっちの世界でお酒飲んだらいいよ。がんで、すごく痛くなる前にこうなって私もホッとしたよ。我慢したもんね、ほんとお疲れ様ね」
と、聞こえないくらい細い声で何度も繰り返し語りかけていて、私は母のことが心配で自分が悲しむどころじゃない感じです。
それにしても、父の病室は4人部屋なのに、私が行くまで普通の患者として部屋にいたわけなので、申し訳なかった…。
「同室の方のご迷惑にならなかったでしょうか?」と職員さんに聞くと、「皆さん認知症で、わからないのですよ」と言われ、「わー、この場所の常識は、外の常識と違う!」と、心の中でのけぞりました。
医師が来て、死亡診断には1分もかからず、あまりに事務的で拍子抜けです。しかも職員さんから葬儀社の電話番号一覧表を渡され、「これを見て今すぐ電話してください」と急かされました。聞くと、3時間くらいを目安に運び出してくれるとうれしい、とのこと。こんなにもせわしないとは…。
とりあえず葬儀の仲介業者に電話してみました。というのも、母は過去に身内の葬儀で苦い思い出があり、頼んでもいない大きな花輪を勝手に追加され、べらぼうな請求が来たので不安なのだそう。今は時代が違うのでしょうが、母を安心させなくては。
仲介業者に頼むというのは、どんなシステムなのかというと、仲介業者が決めた「松・竹・梅」的な定額の葬儀プランがあり、提携する葬儀社がその葬儀プランの通りに行ってくれるというもの。金額にあやふやなところがないのがうれしいポイントです。
電話で葬儀を行いたいエリアや、駅近・バリアフリーなどの希望を伝えると、近い日程で葬儀場が空いているところを調べてくれました。びっくりしたのは、葬儀場の予約はどこもパンパンで、「ここなら5日後にできます。ほかは10日以上後です」という感じだったこと。さすが、高齢化社会ニッポン…複雑な気持ちです。
葬儀場の空きを探すのがこんなに手間がかかるのなら、慣れた人が調べてくれるのは効率的だし、こっちは慌ただしいわけなのでメリットが大きいと感じました。
父を一度家に帰してあげたかったのですが、エレベーターのない5階の実家に運ぶのは難しく、葬儀社であずかってもらうことになりました。
母は「5階に住まなきゃ良かったよねえ。あの家を買うときは思いもよらなかった」とこぼし、頭を振っていました…。
葬儀の打ち合わせは深夜0時にスタートして、葬儀社の方にオプションを聞き、合流した兄も含めて家族で話し合って選び、家に帰り…。80歳の母はヘトヘトだったと思います。
「あっという間に逝っちゃったよねえ」と、母は何ともいえない表情です。こういうとき、やることがありすぎて悲しむ暇もないって本当です。
私も実感が湧かないのに、病院に行ってからずっと緊張しているのか、手のひらがむずがゆいのが止まらないのです。お布団に入ってからも、「わあ、とうとうその日が来ちゃったんだ…」と、むずがゆいのを我慢して眠りにつきました。
さあ、明日からは役所に届け出るものを準備しなくちゃ。父の遺影もです。慌ただしさは続きます。
文/タレイカ
都心で夫、子どもと暮らすアラフィフ美容ライター。がん、認知症、統合失調症を患う父(81才)を母が老々在宅介護中のため、実家にたびたび手伝いに帰っている。
イラスト/富圭愛
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