転院の翌日に父、急変。とうとう別れのときが来てしまいました【実家は老々介護中 Vol.41】
81才になる父は、がん・認知症・統合失調症と診断され、母が在宅介護をしています。美容ライターの私と3歳上の兄は、実家に通って母をサポートしていましたが、終末期になって、父は急遽入院。結局もう家には戻らずにターミナルケアの病院へ転院したところ、すぐに急展開が待っていました。母はオロオロしているし、兄は仕事で不在…。私はその後の段取りもしっかり考えなくてはと、緊張しながら待機しています。
→40話ターミナルケア病院に寝台付き介護タクシーで転院 あと何回、父の顔を見られる?「時間よ止まれ」
「指輪を外しておきますね」と病院から謎の電話が
転院しなければよかったです。その選択肢は無かったのか、考えても仕方がないけれどずっとグルグル考えてしまいます。転院先でイチからルール通りにあらゆる検査に引っ張り回された父。それで疲れてしまったのか、どのみち体力の限界だったのか、翌日に父の容体が急変しました。
その日、私は仕事場でも「お父さんどうしているかなあ?」とソワソワ。そこへ、病院から意味不明の電話が来たのです。看護補助の職員さんからでした。
「お父さまがはめている指輪なんですけどね、外せなくなってしまうと困るので、今から石けんですべらせて外しておきますね」
えっ何?父はこの世代には珍しく薬指に指輪をしているのですが。
「え?これ何の連絡ですか?どういう意味なんですかね?」
「いえ、じゃあ、指輪、外していいですよね。しっかり保管しておきますので」
電話はそこで終わりです。つまり、もうまもなくだという兆候があったという意味でしょうか?それで、指輪を外せるうちに外しておきますよ、盗んだと思われないように家族に連絡しましたよ、ということ?
急いで実家にいる母に電話すると、「それ、どういう意味?まさか、そういう意味?」とだいぶ動揺させてしまい、そこから母とふたりでちょっと議論。
「病院に電話して聞いてみようか?」
「いや、それは病院の人も答えられないんじゃない?」
「でもさ、このままもう会えなくなっちゃうの?」
「どうなるかなんて、わからない、としか言えないんじゃないかなあ…」
と堂々巡り。感染症対策で自由に面会できないのだし、電話なんかしても忙しい病院の方の手を煩わせるだけでしょう。でも、謎の電話が気になって仕方がない。
母は「ジタバタしてもしょうがないってわかってるよ。神様に祈るしかないよね」と言い、しかし動揺して電話の切り方がわからないのか、しばらく無言で電話が繋がっていました。
さて、私は仕事を片付けなくては。会議に出たり電話で打ち合わせしたりしている間も、「そんなわけない、大丈夫!」という気持ちと、「悪いほうの予感が当たるものだ」という気持ちが交互にやってきます。
今私がやらなきゃいけない優先順位は、今後の段取りをつけることではないか。早々に仕事を終わらせ、葬儀の仲介業者から来た営業メールを見返してみました。明朗会計で小規模なお葬式ができるというテレビCMをよく見かけます。それが母の考えに合っていて、使ってみようと決めていました。
数週間前からそういった葬儀の仲介業者にいくつかメール登録しておいたのですが、中にはこちらの状況が入院などしていて“その日”が近いのか、しばらく先なのか、だいぶ突っ込んだことをアンケートに記入する必要がある業者も。「そろそろですか?」という意味なのか、営業メールがたくさん来る業者もあり、父を失う寂しさで胸がいっぱいなのに、結構ドライだなあと思ってしまいます。あまり近い縁でない人が申し込むケースも多いのでしょうか。
そして、謎の電話から5時間経った夕方。その連絡はとうとう来てしまいました。
「今、ほとんど呼吸していないです。今すぐ来られますか?」
唐突すぎて驚きました。「そんな状況になってから、やっと連絡が来るの?」という気持ちでしたが、母・兄・私の3人は、それぞれ急いで病院へ向かうことになりました。
このとき、正直な話、葬儀を頼む段取りに見当をつけておいてよかったと思いました。病院に着くと、父を運び出す手配を急がされたので、心の余裕が持てる状態で進行できたのはよかったです。その話はまた次回に。
文/タレイカ
都心で夫、子どもと暮らすアラフィフ美容ライター。がん、認知症、統合失調症を患う父(81才)を母が老々在宅介護中のため、実家にたびたび手伝いに帰っている。
イラスト/富圭愛
●多様化する葬儀の形 家族が自分たちの手で故人を弔う“自力葬”が話題に「故人と遺族が主役になれる」
●新田恵利さんが明かす母の介護と看取り「フルマラソンを走りきった充実感」後悔しない最期の迎え方