父の葬儀の準備や手続き、ひたすら母の心のサポートを心がけます【実家は老々介護中 Vol.43】
がん・認知症・統合失調症と診断された81才の父を母が在宅で介護をし、美容ライターの私と3歳上の兄は、実家に通いながら母を手伝っていきました。自宅で最期を迎えるのが両親の希望でしたが、結局父の体調が急降下して、入院。その後、ターミナルケアの病院に移りそこで亡くなりました。
葬儀を滞りなく済ませたら、名義変更などの手続きが待っている
父を送るのは10人程度の家族葬と決め、高齢の参列者が多いことから、負担の少ない一日葬にしました。
鹿児島出身の父は、親族のほとんどが鹿児島にいて、もう年齢的に東京まで出て来るのは難しいとのこと。葬儀に行けない代わりにと、温かいお手紙を父のきょうだいがそれぞれ、母のために書いてくれました。「お互い年を取りましたね。気を落とさないようにと言っても難しいけれど、普通に暮らせる日が必ず来るから、人と話す場所に行ったほうがいいと思います。健康に気をつけて……」
お手紙を読んで、母、兄、私の3人でジーンと来てしまいました。
さて、葬儀の準備で母が心配したのはお香典です。
「みんな、これまで通り包んでくれると思うのよ。でもお金のかからないお葬式をするから、もらい過ぎになっちゃうと思うのね。持ってこないで、って言うのもナンだしねえ。どうしようかねえ」
あまり仰々しいお返しをしても失礼だし…。そこで、お酒が好きな人が多いから、ビール券をたくさん渡そうと思いつきました。コンビニやスーパーでお酒以外のものにも使えることが多いので便利なはずです。
困ったのは、遺影にふさわしい写真がなかなか見つからなかったこと。父は生涯携帯を持たず、母はガラケーひと筋。今どきの人みたいにスマホのカメラロールを探せばバンバン写真があるわけではなかったので、実家のデジカメを引っ張り出して7、8年前の写真から無理やり選び、背景を加工してもらいました。
デジカメには私の知らない両親の思い出がいっぱいあって、少し癒されました。夫婦で美味しいものを食べていたり、観光地のきれいな藤棚とともに写っていたり。母の表情が明るく、父の介護をしていた10年間も、出かけて楽しく過ごせた日があったのだと思うと嬉しいです。
デジカメの写真を見ながら、母にそのときの父とのエピソードを聞いているうち、それを喪主の挨拶で話そうということになり、母が自分なりに考えることになりました。母に少し意欲が湧いてきたようで良かった。小さなことの積み重ねで、少しずつ元気になってくれれば…。
葬儀の当日は朝からちゃんとお化粧して、気合を入れていた母。こういうメリハリが今後も何かの形で続けばいいなあ。
食事会では、私の子どもたちが母の手助けをして、飲み物を注いだり、係の人を呼んだりしてくれました。このとき、「世代交代ってこういうことなのだなあ」と妙に腑に落ちました。
火葬を済ませて家に帰り、葬儀社から渡された簡単な祭壇を組み立て、骨壷と写真、供物を並べてお線香をあげると、さあ、用事をやっつけなくては。
役所の手続きはもう終わらせてあります。あとは自動引き落とし口座を変更するのと、家の名義を変えるのみ。
父の口座にあったお金は全部タンス預金になっており、口座凍結で困るということがないのです。父の財産は相続税のかからない範囲内だから、税金の準備もいりません。
ひと悶着あったのは、兄が「家を相続するのはいいけど、一緒に住むのはやっぱり嫌だ」と言い出したこと。80歳の母がひとり暮らしするのは心配なのだけど、これはゆっくり解決するしかないのかも…。
スムーズに終わると思っていた名義変更も、「家の火災保険の書類はどこ?」と母に聞くと、「えー、更新が来たらお金払ってるだけだからよくわかんない」ということだったり、はっきりしないものが多すぎて、書類を探したり、問い合わせたり、だいぶ時間がかかってしまいました。
どうにか、今すぐやることはクリアしたところで、次のミッションはお墓探しです。その次に母が充実して暮らせる生きがいみたいなものを、早急に見つけなくてはと思っています。父がいなくなった家にぽつんと、何もせずにいるなんて罰ゲームみたいで精神的に良くないはず…。その後の話はまた次回に。
文/タレイカ
都心で夫、子どもと暮らすアラフィフ美容ライター。がん、認知症、統合失調症を患う父(81才)を母が老々在宅介護中のため、実家にたびたび手伝いに帰っている。
イラスト/富圭愛
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