宮川大助・花子インタビュー 「胃がんと脳出血を乗り越えて今がある」
「いつまでも、あると思うな愛と金」のフレーズでおなじみ、半世紀近く夫婦漫才の第一人者として活躍し続けてきた宮川大助・花子。
舞台の上では常に観客を爆笑の渦に巻き込むふたりだが、お互い病気を乗り越え、今に至る。
大助が振り返る。
「我が家で大きな病気が発見されたのは、’88年の嫁はんの胃がんですね。猛烈に忙しい時で、新ネタも3日に1本ぐらい作らなければあかん。仕事と稽古に追いかけられていた時期ですわ」
どんどん体重が減っていった
夫である大助はもちろん、花子もまったく兆候に気がつかなかった。
「あまりの忙しさに体は常に疲れていたけれど、がんだなんて思いもよらなかった。だけどなぜか体重がどんどん減っていって、『ダイエットになってちょうどいい』なんて喜んでいた矢先だった」
がん全般の兆候として、体重が急激に落ちることが知られている。花子の体は、SOSを出していたのかもしれない。
「疲れていて体調が悪いから、元気になる注射の一本でも打ってもらおうか」とふたりは揃って人間ドックを受診。そこで花子の胃がんが見つかったのだ。幸い、早期に発見されたため手術による切除が成功した。
「当時は昭和の終わり。まだがんは“不治の病”として恐れられていた頃だから、告知することもほとんどなかった。だから大助くんもお医者さんも“良性ポリープだ”と言って私には隠していたんです。きちんと聞いたのは手術をして5年が経ち、再発の心配がなくなった頃でした。うすうすは気がついていたけれど、気を使ってくれていたのがわかった私もだまっていました」(花子)
脳出血で倒れる前に兆候はあったが…
再び揃って舞台に立つようになったふたりだったが、結婚30年目の’07年、今度は大助が脳出血に襲われた。
大助本人は「今思えばおかしかった」と振り返る。 「例えばまず、顔を洗うでしょ。ひげ剃るでしょ。その時に顔の左半分に感覚がないんです。顔に手を触れても、半紙を1枚覆って、その上から触れているような感じなんです。それに、顔全体にかすかなしびれが走っているような感覚がありました」(大助)
大助の食生活も、高血圧を誘発するような内容だった。
「子供の頃から、塩辛いものが好きで、野菜炒めにもしょうゆをかけるし、鮭も塩鮭しか食べない。さらに柿やいちご、梨やみかんにまでしょうゆをかけて漬けものがわりに食べていたぐらいです」(大助)
違和感を覚えつつも忙しさにかまけ、病院へ行かずに仕事をする日々が続いた。
「そんな生活に体が耐えられなくなったんでしょうね、ある日バラエティー番組の収録でダンスを踊っていたら、急に頭の中でポン!とかパチッ!という音がした。
そのあと、右の頭の方からギュ~ンと火災報知器が鳴るような、ミンミンゼミが何千匹も一斉に大合唱して鳴いているような音がし出したんです」(大助)
人間の生命力の強さはすごい
そのまま倒れた大助は、すぐに病院に搬送された。
「振り返ってみると、あの時すぐに病院に行ったのがよかった。嫁はんから『このまま少し休んでいる? それとも病院に行く?』と聞かれた時に迷わず『病院へ行く』と答えたんです。多くの人は、『少し休めばよくなる』とがまんしてしまうと思う。だけどやっぱり早く病院へ行くことに越したことはないと、改めて思いました」(大助)
大病を経験したふたりが感じたのは「人間の生命力の強さ」だと声を揃える。
「何とかなるもんなんやな、というのが実感。生きたい、というエネルギーはすごい。だけど、だからこそ早く気がついて治療することは重要。今ではふたりとも、年に一度は病院に行くようにしています」(大助・花子)
※女性セブン2019年4月11日号