兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第202回 ツガエ家の治安を守ります】
「兄は若年性認知症という病気なんだから…」。ライターのツガエマナミコさんは、そう心の中で反芻しますが、いくらそう自分に言い聞かせても、困惑と悲しみとやるせなさはなくなりません。兄の不可解な行動、特に排泄問題には、もはやお手上げ状態なのです。そして、それに加えて、また一つ心配事が増えてしまったというお話です。
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パトロールの項目が増えました
兄は年末には65歳になり、「若年性」というキャッチーな冠は返上となります。普通に「認知症」という字面では、マーケティング的にパンチがございません。「若年性認知症」がモコモコの羊さまなら、「認知症」は毛を刈られたあとの羊さま。そんな風に思うのは、文字の世界で生きる一種の職業病かもしれません。こんにちは、ツガエでございます。
先日は、久しぶりにベラオシ(ベランダでオシッコ)の犯行現場を目撃。排泄物陳列罪の現行犯逮捕を試みたところ、また取り逃がしてしまいました。
ベランダから帰ってくる兄に「ここでオシッコしたらダメなのよ」というと「え?なに?」という第一声。
「オシッコしてたよね、今」というと無言。
「ここでオシッコしていいの?」と聞くと「うん」とおっしゃる。
「なんで?」と聞くと「しょうがないよ」とのたまうので「しょうがなくないよ。トイレがあるんだからトイレに行ってよ。さっきはトイレでしてたじゃん」と申し上げると「え?トイレあるの? どこ?」と、初めて聞いたようなビックリ顔をされました。その瞬間心の内側からブラックツガエが降臨し、憎々しい声で「白々しい」と兄に吐き捨てて、すっと消えていきました。
兄は病気です。わかっておりますが、病気でないわたくしには理解の範疇を越えました。
その数日後にはお便さまです。ベランダの隅でお便さまをしているまさにその最中を目撃いたしましたが、やはり兄は犯行を認めることはありませんでした。少し前までは「すんません」と口先だけでも謝ってくれたのに……。
直後に「あれ、どうすればいい?」と聞いてみたところ、「知らないよ。僕が持ってきたわけじゃないんだから」とヌケヌケと言ってのけるのでございます。
近づいてシゲシゲながめて「なんだろうね」とおっしゃるその神経を「恐ろしい」と言わずしてなんと言えばいいのでございましょう。例えば人が見ている目の前で花瓶をわざと落として割っても「ぼくじゃない」と被害者のような顔で言える神経の持ち主になったのでございます。
やっぱりこの日もデイケアの朝でございました。兄を見送った後、箒と塵取りの上からドロのように垂れた大量のお便さまを、そのまま水で流すわけにもいかず、またゴム手袋を付けた手で掬い取れるだけ掬い、トイレへ流した妹ツガエの奮闘記。涙失くしては語れません。
何百回言ってもやってしまう兄は止められません。読者の方にもアドバイスいただきましたが、そこでしてもいいように工夫するしかございません。ということで、兄の部屋に置いてあるゴミ入れ(毎朝お尿さま、ときどきお便さまが入っている)と同じものを用意し、それをベランダの隅に置くことにいたしました。
気になる効果は? 1日目はベラオシの痕跡がありませんでした。しかし2日目、それを避けてするではありませんか。
本日は3日目。あのごみ入れは見慣れているはず。きっとあれをめがけてやっていただける日が来ると信じております。
先日のお便さま掃除の後、兄の部屋をお掃除していましたら、兄の私物が乱雑に入った段ボールの中に大小さまざまなカッターが20本ほど入ったプラスチックボックスを見つけました。今までは段ボールの底の方にあって見えなかったと思われますが、それが一番上にあったのです。仕事で使っていたものなのでございましょうが、わたくしの頭脳は「カッター」=「えらいこっちゃ」と瞬時に計算し、カッターの箱を兄の目に触れない場所に移しました。
ライター(第197回)といい、カッターといい、こんなものを兄に持ち歩かれては命がいくつあっても足りません。排泄物パトロールに加え、危険物パトロールも追加!
ツガエ家の治安を守るため、わたくしの奮闘は続きます。
文/ツガエマナミコ
職業ライター。女性60才。両親と独身の兄妹が、8年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現64才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。病院への付き添いは筆者。
イラスト/なとみみわ