樹木希林さん、大島渚さんの「見事な逝き方」延命治療の意思決定は早めにすべき理由を医師が解説
「長い闘病イコール不幸ではまったくありません。結婚生活の3分の1が介護でしたが長いと感じなかったですし、大島が喜んでくれることが自分にとっての幸せでした」
そう振り返るのは女優の小山明子さん(88才)。
夫で映画監督の大島渚さん(享年80)は1996年に脳出血で倒れ、介護が必要になった。ショックで介護うつになり、体重が15kg落ちて入退院を繰り返した時期もある小山だが、希望は捨てなかった。
「大島にはその日一日を幸せに過ごしてほしかった。寝る前に“パパ、今日一日はよい日でしたか?”と話しかけ、彼に幸せだったと思ってもらいたい一心でした」(小山・以下同)
その日を幸せにするため、小山は庭に花壇を作って花を育て、糖尿病の食事制限がある夫に好物のうなぎや刺身をふるまった。地方で仕事があっても日帰りで家に戻り、桜の季節には夫婦で花見をした。
妻の献身的な介護に支えられた大島さんは、生きようとする力を維持し続けた。
「老老介護で私が先に逝くかもしれないから“パパ、私が先に死んだらどうする? 一緒に逝く?”と聞いたら、“逝かない”と言ったの。一生懸命介護しているのだから、嘘でも“一緒に逝く”って言えないのかって(笑い)。でも本心なのよね。あ、この人、生きようとする力があるんだって思いました」
2012年末、大島さんが入院すると医師が「気管支を切開して人工呼吸器をつけますか?」と尋ねた。
「最初に脳出血で倒れたときに家族で話し合い、延命治療はやらないと決めました。私は義理の姉の延命治療を間近で見て、意識が戻らない人をただ延命することに疑問を感じていた。大島も“ぼくはやらない”と言っていたので申し出を断りました」
死の数日前、大島さんは自発呼吸ができるまで回復した。小山が「私はパパが大好きでした。パパも私のことを好きと思ってくれるなら、手を握り返してください」と告げると大島さんは妻の手をギュッ、ギュッと2回握り返した。
「それからパパにやりたいことを聞いたら“飲みたい”と言ったから、彼の好きな日本酒を唇にちょんちょんとつけてあげました。最後のお願いを叶えて、幸せな最期を迎えられたと思います」
→女優・小山明子さんは「水泳で介護うつを克服」60才に立ちはだかる”うつの壁”を乗り越える方法【精神科医提言】
延命治療に対する意思決定を早めにしておくことが大切
在宅医療を行う医師の森田洋之さんが語る。
「医師の役割は患者を生かすことなので、患者の希望がわからなければ延命治療せざるを得ません。本人が事前に延命治療に対する意思を決定しておくことが求められます」
柴田さんが続ける。
「延命するかしないかを決めることは家族には非常に重荷で、どちらを選んでも家族は苦しみます。やはり事前に本人と家族が方針を共有しておくことが大事で “望みを叶えた”という思いが家族の救いになります」
→1本のFAXが、すぐ死ぬはずの妻を2年半救った シリーズ「大切な家族との日々」
教えてくれた人
森田洋之さん/医師
撮影/本誌写真部 写真/時事通信社
※女性セブン2023年6月8日号
https://josei7.com/