経本と現金150万を抱え、足は豆だらけでした。父が行方不明になった10年前を回想/その2【実家は 老々介護中 Vol.19】
80才になる父は、がん・認知症・統合失調症と診断され、母が在宅介護をしています。美容ライターの私は、たまに実家を手伝っています。今の父は精神的に落ち着いていますが、10年ほど前に家出してしまったときは人が変わってしまい、無事見つかったけれど母、兄、私は不安でいっぱいでした。
不安に呑み込まれないように、自分を保つのが大変でした
父の失踪事件の続きです。鬱の妄想により家出した父が見つかるまで、母を元気づけてくれたのは母のきょうだいでした。
「自分を責めちゃダメだよ、お姉さんのせいじゃないよ。うちもお婆ちゃんの認知症のとき、うまくできなかったしさ」
すでに他界した母の母、私の祖母が認知症とわかったときも、「家族は近すぎて異変が見えなかった」というのに驚いたのですが、実家も同じだったのだと思います。
さて、私と兄は連日思い当たる場所を探して歩きました。もしかして父がお墓参りに行くんじゃないかと思い、行って聞きこみをすると、「ああ、そういうのね。来たら連絡しますよ、はい」と、みんなそっけない対応。
うちの大切なお父さんがいなくなっちゃったのに、世間ではよくあることで誰も相手にしてくれない。事件でもないので、警察が大勢で探してくれることもない。無力すぎて、毎日叫びそうでした。
実は、探偵事務所へも何か所か相談に行きましたが、足腰の元気な人を大した手がかりもなしに探し出すなんて難しいですよね。いいアイデアをもらえることもなく、高額を提示してくる事務所もあり、うちは頼みませんでした。これは場合によりけりだと思います。
そして父が失踪して5日目、待望の連絡が。
「タレイカ、お父さん見つかったよ!」
兄からでした。実家から70kmも離れた、知らない保育園の園庭にいたそう。階段に腰掛けているのを園児と先生が見つけて警察に通報、無事保護されたそうです。持っていたバッグには現金が150万円も入っていて、手には経本を握りしめていたというのには驚きました。
保護された警察署へ行くと、父は殺気立った表情で折り畳み椅子に座っていました。テーブルの上に、父がさまよっている道中にコンビニで買ったお茶や食べかけのサンドイッチが置いてあり、先に着いた母や兄は、警察の方に事情を聞かれたり何か書類を書いたりしていました。
汗のニオイがする父の足元は泥だらけです。
「お父さんの足、拭いてあげようか?」。父に靴下を脱いでもらい、ウェットティッシュで足の泥をぬぐうと、足の裏にマメがいくつもできていました。
「痛い! 痛いよ!」
父は不機嫌な老人そのもの。私に対しても他人みたいな態度でした。警察の方から、「これで、お帰りいただいて大丈夫ですよ」と言っていただきましたが、このまま帰って日常を送れるとは思えない。
ここで機転のきく兄がナイスな質問を。
「ちなみにこういう風に保護された人を、緊急入院させてほしいって頼める病院、ありませんか?」
兄が上手に話を進め、精神科の大きな病院を教えてもらって、入院前提で診察してもらうことに。家族で病院へ行き、父が無事入院できることになったときには深く安堵したのを覚えています。
母はこの病院のことを思い出すたび、涙をこぼすんですよね。
「あのときのお父さんは可哀想だったよね」と。「入院しますよ」とお医者さんに言われたとき、父の「見捨てられた!」というショックがありありと浮かんだ顔が忘れられないと。
車椅子に乗せられて病室へ連れて行かれるまで、振り返ってずっとこちらを見ていて、「見捨てるの? 本当に見捨てるの?」と言っているみたいな顔でした。母、私、兄までがうつむいて泣いてしまいました。
この後、父は統合失調症と診断され、2か月の加療後に退院できたのですが。「母が浮気して、家は浮気相手に乗っ取られているから自分の居場所がない」という妄想のもと家出したようで、お経を心の支えに、自分のお小遣いを銀行でおろして大事に抱えていた気持ちを思うと胸がキュッとします。
「あのときはさ、なんかもう必死だったよね〜」と母。こうやってお茶を飲みながら思い出す日が来るとは、あのころの私たちに教えてあげたい。今の父は自由に外に出ることもできないんだ、と思うと切ないですが、自然に老いていく父を支えていくしかないです。
文/タレイカ
都心で夫、子どもと暮らすアラフィフ美容ライター。がん、認知症、統合失調症を患う父(80才)を母が老々在宅介護中のため、実家にたびたび手伝いに帰っている。
イラスト/富圭愛